ネルソン・ジョージ『リズム&ブルースの死』(1988=1990,早川書房)

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*1

ネルソン・ジョージ(Nelson George)は、音楽批評家・映画監督*2。特にアフリカ系アメリカ人(アフロ・アメリカン)の音楽ジャンルとして発展してきたR&B(=リズム&ブルース)やHIP HOPの歴史に関する著作で知られる。*3
原著が1988年に出たこの著作は、1990年に早川書房から翻訳出版された。解説には、当時すでに『魂のゆくえ』*4を出版していたピーター・バラカンが寄稿している。

本書の特徴は、以下のとおりである:

▼【米国人権史(あるいは“人種統合”のジレンマ)】

1900年代から1980年代までのアフロ・アメリカンの歴史を踏まえている。特に分析枠組として〈分離〉(&自己充足)と〈統合〉(&民族同化)という対立関係を置き、そのそれぞれの初期の代表的政治家としてBooker Taliaferro Washington(ブッカー・T・ワシントン)とWilliam Edward Burghardt Du Bois(W.E.B.デュボイス)とを位置づける。
B.T.ワシントンはどちらかといえば黒人労働者によって充足する〈分離〉寄りの思想を持つ〔本書ではそのようなポジションに置かれる〕のに対して、デュボイスはワシントンの立場を痛烈に批判し、一刻も早く黒人の公民権を勝ち取ろうという立場から〈統合〉の動きを目指した。*5
つまり、米国黒人の人権向上における〈分離〉-〈統合〉という発想の振れ幅が、ネルソン・ジョージが本書で黒人文化史を分析するときの基点として置かれている、ということである。解説のピーター・バラカンの言い回しを借りれば、"Sepalate but Equal"(分離はすれど平等な)といった言葉で表されてきた、黒人社会の矛盾が各時代でどのように噴出してきたのか、それは〈分離〉寄りなのか〈統合〉寄りなのか、という批判的コメンタリが、ネルソン・ジョージからしばしば挿入されるということである。その上でネルソン・ジョージは、安易な〈統合〉を黒人社会が志向することには一貫して反対する立場を、著述内で繰り返し表明してゆく。

▼【米国のラジオ文化(ラジオDJの役割の強調)】

黒人音楽を語る際、しばしば(a)「ミュージシャン」(b)「レコード会社」の関係が批評されることが多い。しかしネルソン・ジョージは本書において、(c)「ラジオ局(と黒人ラジオDJ)」の立場を特に手厚く記述する。ラジオ局およびラジオDJが、その時代ごとの黒人音楽の良さ、米国国内におけるアフリカ系黒人のアイデンティティのありようを伝播させる役目を果たしたことが繰り返し述べられる。その著述に際して何十局もの各地方ラジオ局の略語が登場し、それぞれのラジオ局がどのような貢献を果たしたかが強調された。*6

▼【黒人音楽ジャンルに関する横断的記述】

扱っている政治史の範囲が幅広いため、様々な黒人音楽ジャンルの事情が交錯する記述となっている。
この点についてあらかじめ注釈しておくならば、黒人音楽に関して、ゴスペル、ブルース、ジャズ、ロックンロール、ソウル、ファンク、ヒップホップといった音楽に紐付ける形で解説を行った著作は数多い。*7 また、「黒人音楽に限定しない」「日本語で読める」アメリ音楽史の決定版としては、大和田の本の評判が高い。*8また現代においては、個々のミュージシャンに関する情報であれば、Google検索等を利用するだけで、かなりのところまで正確な情報が手に入る(ことが多い)。だが、それぞれのジャンルが商業的にどのような関係を持ち、どのような漸進的発展(や衰微)を遂げてきたのか、ということの正確な遠近を確かに記述した資料は難しい。本書の意義は、その遠近を確かめる一つの連続的記述を成り立たしめたところにある。*9

▼【レトロヌーヴォ vs クロスオーヴァー

上記3点を踏まえたうえで、ネルソン・ジョージは〈レトロヌーヴォ〉というカテゴリを、1986年頃から提唱し始めた*10
〈レトロヌーヴォ〉は、「情熱的で新鮮な発想や組織を生み出すための過去の容認」という考え方、特に「過去の遺産を重んじるブラックミュージック」のあり方を指すための用語である。1970年代以降、〈クロスオーヴァー〉(=黒人アーティストを売り込むターゲットを、より数の多い白人聴衆に移行することを指す用語)が成功してしまった結果として、1970年前後まで保たれていたはずのR&Bの良さが音楽市場からも(そして公民権運動以降の黒人社会の活力も)失われてしまった、つまり「死(death)」を迎えてしまったのではないか、そのような仮説をネルソンは持っていた。
つまりN.ジョージの〈レトロヌーヴォ〉は、〈クロスオーヴァー〉と引き換えに失われたR&Bの良さを遺産として継承することを指向して語られた語であると見ることができる。そしてこの 〈レトロヌーヴォ〉に属する1980年代のミュージシャンとして語られるのが、Michael Jackson *11と Prince*12であった *13

▼その他の見どころと、記述上の欠点と言える部分

この4点の他にも、いくつか面白い特徴はある。たとえば〈ペイオラ〉*14〈アンクル・トム的〉〈ジム・クロウ〉*15といった言葉の位置づけ、その時々の時代の音楽流通を成り立たしめる技術(エレクトリック・ベースやセラック)、ドン・ロービーなどのある種“山師”的なふるまいで社会的成功を収めて来た人々の列伝、1970年代初頭に突如現れたハーヴァード大学ビジネススクールによる「ハーヴァード・レポート」の(素朴に歴史的に見ても)極めて唐突な登場があったことなど、見どころを際限なく挙げることはできる。しかし、そうした点は、上掲した4つの貢献に比べれば、相対的に些細な点に属する。

また、注意して読むべきは、ネルソン・ジョージ自身の音楽批評的な野心が随所に見いだされることである。歴史的記述の緻密さに追加して、個々の音楽的達成についての痛烈な批評をも行おうという野心(下心というにはあまりにあけすけすぎる)が残ったままなのである。それは歴史的著述において時に邪魔なノイズになってしまっている部分もある一方で、R&Bマニアであればそのような評価にもなるだろうと納得してしまう部分もあり、不要と断言するのもためらわれる。

いずれにせよ、1988年の本書の出版によって果たされたR&B言説への貢献は今なお完全に捨て去られたわけではない。特に黒人向けラジオ放送周りの微に入り細を穿つ記述は、黒人音楽やR&Bを語る際にしばしば踏み込みが足りていない面であり、その点でも今なお熟読に値する。

*1:原著 [asin:B0031TZBS8:detail]

*2:公式Webサイトhttp://nelsondgeorge.net/?page=home

*3:ヒップホップに関するネルソン・ジョージの著作については、以下を参照。[asin:4860520068:detail]

*4:[asin:4101157219:detail]。なお2008年に新装版が出ている。新装版については後述。

*5:

*6:しかしながら、本書には米国国内のメディアに関する注釈がなく、どの略語がどの組織に対応するか、極めて読みづらいものになっている。もしも20世紀の米国ラジオ文化に関する一覧や摘要があれば、この本は数段読みやすいものになるだろう。

*7:[asin:B00VT9LTRY:detail][asin:B00VT9LTVA:detail][asin:4401637127:detail][asin:4903951057:detail]

[asin:4401617096:detail]

*8:[asin:4062584972:detail]。大和田本の解説としては、シノハラユウキによる2011年09月の書評 http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20110924/p1 が参考になる。

*9:ただし、個々のジャンルに興味があり、その詳細をこの本で拾得しようとすると、その他の解説書より難易度が高いかもしれない。さらに、本書は1980年代末に登場した本であり、1988年〜2010年代のR&Bの状況についてはサポートできていない。似たような議論を扱った本として、以下の様な本に当ってみると良いのかもしれない。[asin:1888451262:detail]

*10:p339

*11:[asin:4101362610:detail]

*12:[asin:4106106345:detail]

*13:第7章,p353:「前に述べた私の異見を考えると、次に書く結論は意外かもしれない。しかし、もっとも重要な二人のレトロヌーヴォ・アーティスト、それはマイケル・ジャクソンとプリンスだった。彼らのイメージは好ましくない影響を与えはしたが、スーパースターの地位を築くための基礎として、つねに過去を反映した方法論を用いることで、二人は八〇年代最高の音楽歴史家であることを自ら証明してみせた。」

*14:ラジオ局において、DJに対して支払われる賄賂。もちろん不正行為に属する。

*15:ジム・クロウ法のこと。