和室・文机・骨盤矯正座椅子

関西に転居して3ヶ月が経った。

自分の働きぶりに関しては、まだ堅調とは言い難く、また今後の不安も巨大でありつづけてはいる。それでも演ることは演ろう、演れていないことも少しずつやっていこう、という気持ちで、作業時間を捻出している。

ところで、今回の住居は、和室をえらんだ。

帰郷時を除く前回、前々回は、フローリングの上にベッドを敷く形式であったのだけれど、これが自分の生活様式と、相性がよくなかった。
自分は、平たい床の上でなら、ストレッチを一通りこなす技術をもっている。難しいストレッチについては、ヨガマットを敷く準備さえしている。*1しかし、(たとえすのこ式ベッドを導入したとしても結局、)充分に運動するスペースを確保することはできなかった。

ベッド式は、ホコリとの戦いでもある。狭い部屋から、メンテナンスのためにマットレスを出すのは、一苦労である。喉周りもやられやすく、寝相が悪くなる。部屋のホコリもベッドの周囲に溜まりやすい。ベッド外の居室がひろびろとしてさえあれば、別のスペースの使い方もあるだろう。けれど手狭な独居の部屋にベッドを置くには、埃に対する耐性だけでなく、通気や掃除などに関する前持っての強い見通しがなければならない。部屋の一部でも掃除ができないなら、そのうち、その室内でなんでも済まそうとすることに、差し障りが出て来る。特に、寝ること、食べることについて、不快な要素がどうしても堆積していってしまうのである。部屋の片隅に、ベッドの下の方に、手の届かず目のつかないあちらこちらに。

それで、新しい部屋に引っ越すことを決めた時に(あるいはそうなることを見越して)、徹底しておこなったことがあった。本の自炊(いわゆるPDF化)である。2014年ごろから一度札幌に帰ることを決めた時、その引越しの手前と後とで3000冊弱の書籍すべてを裁断し、ScanSnap iX600*2やS1500*3に食わせていった。総ファイルデータは数えていないが、10GBより小さいということはないはずだ。これらのデータは今後もまだ増え続け、MacbookのSpotlight検索窓から、いつでも取り出せるようになっている。

しかしそれでも本の棚は足りなかった。それで、娯楽関係のものは極僅かにして、実用書だけに絞ってもってきた。これで段ボール3箱ぶんとなった。押し入れの引き戸を外して風通しをよくし、その下部に書棚をつくる。足りないぶんは、剛性の高いヤマトの段ボールの端を固定して、カラーボックス代わりにする。(本当は、こうすると害虫が住み着きやすいという危惧もあるが、急ごしらえでしのぐならば、必ずしも悪くないという判断が、ここに働いている)。
それでも細々とした小物は数多い。そこで、現地近くのダイソーで、積み上げられる小コンテナのようなものを5〜6個買い、分類もそこそこにそれらの中に放り込んだ。それから、型のぴったりあった安ハンガーを軽く30本、規格の揃った洗濯ばさみを20本、いつでも小分けにできるキッチン用プラ袋、掃除にも食器拭きにもメガネ拭きにも使えるマイクロファイバータオルを最低3枚。このあたりで、生活の基礎は組み上がってきた。

ところが、それだけでは、3ヶ月の間、職場以外での知的活動は、さして進まなかった。
原因と言えるものはいろいろあるだろうが、わけても、PCを安定したところに置きながら、同時にメモを量産する場所がなかったのが、微妙な負担になっていた。
しかし、それを普通に求めてしまうと、無骨でやけに縦横大きな机が家に鎮座してしまうことになってしまう。これが実にいやで、ずっと机を買うことをためらっていたのだが、その消極的な決断が、私の生活を少しずつぎこちないものにしていった。

そこでどうしようか、考えていた矢先の昨日、私はリサイクルショップらしき場所の倉庫の手前に、とても良いものを見つけた。いわゆる、「文机」と呼ばれるものである。

最近のデザインでは随分おしゃれなものが出回っているけれども、*4自分がみつけたのはそうした新しいデザインのものではなく、20世紀後半から使われて古ぼけてきたような、しかし元々の木材の品質は質実剛健であるような、そういう文机であった。文机の引き出しの隣には、緑色の養生テープの上にそっけなく「1000円」と、やる気なく書かれていた。養生テープが値札代わりなのだ。

大雨の日にその通りを早足で歩いていたところに、そんな出会があって、次の日さっそく同ショップの業者が届けてくれた。一人でもつとやや重たいが、コメ20kgよりは軽い程度のものだった。身が詰まっているような感触が指のむこうから伝わってくる。布団を敷くスペースと、わずかな電子機器充電ハブ以外なにもない和室の北の側に、この部屋唯一の――いや、新職場からタダで貰ってきた小冷蔵庫もあるにはあるが、とにかく仕事道具として必要であると決めてそのように置いてやろうという決意が込められたものとしては唯一といって差し支えないだろう――木造家具が、置かれた。

北面にしてみた時の自分の脳裏には、ある思い出がよぎっていた。京都では毎年秋に、慈照寺(つまり銀閣寺)のうち、「東求堂」と呼ばれる建築物の内部観覧会を行っており、中を観覧することができる。そこで見せてもらった、書院造のアーキタイプと呼べる場所の作りが、極めてすばらしかったのだ。*5

――なるほど、足利義政は、政治家としてはダメだったが、文具狂としては天才だったのだな。

 自分はそう確信した。北面に面した障子から採光して、東西南どこからの日差しにも強烈に邪魔されることなく、ただ静かに、硯で墨をつくり、筆を執っていた。この寺に関わったのが最後の晩年だとしても、このシンプルな場の定義をみずから考えて作った足利義政という男は、その後600年のデスクワーカーの心をも見抜いている。なぜだかそんな風に思わされるものがあった。もちろん、その後の室町建築人やその他の風流人がまず心動かされたに違いないが、その中にはいくばくかの文具狂もいただろうし、その文具狂は打ち震えたに違いない、この私のように。

彼のした通り、北面に机を置く。かれは窓と机を一体化させたが、自分はカーテンという文化があるので、壁とくっつけあうわけにはいかなかった。また、義政は隣に花瓶や珍品を設置する台なども設けていたようだが、それは自分には暫く縁のないものと諦めた。

最後に、坐り方。ノートパソコン(Macbook)を置いて開くぶんには、特に支障はない。やや肘が高くなるくらいかと思うが、胡座を買いて下に抱えるように書くようなスタイルよりはよほど疲れがでにくく、首も傷まない。しかし、ここにさらに骨盤矯正用の座椅子を放り込む。

スタイルバタフライ*6は、昨今いくつかのメーカーで流行っている、腰痛背部痛サポーターである。普通は、通常の椅子にさらに敷く特殊な座布団のようなものとして使う。普通の座布団との違いは、尻にフィットするところ以外の、背中側に位置するところにやや反った造形が付け加えられていることで、この反りが、座った人間の骨盤を別のところに導くようになっている。これを使ってから、背中を丸めて息を浅くしたまま眼をこわばらせる、というような貧しい姿勢に落ち込んでいくことがだいぶ少なくなった。(いちど矯正で疲れた背中をある程度ほぐすのに、余計なコストは掛かるが、それも少しずつ減ってきている。)ただし、立派すぎてもいけない。高すぎる同シリーズは、背中の面まで親切に覆いすぎてしまい、本来の腰周りの汎用性を失ってしまいがちだ。また、背幅がひとそれぞれであるということについて、それほど注意深く設計したと思われない作例がいくつも見受けられる。*7 結局、「腰だけ」にこだわったエントリーモデルの方が、作業用座椅子としては、良い点だけをサッと提供してくれるように感じらる。

畳の部屋にて、文机を北面させ、座ったままで骨盤矯正しながら、PC仕事や書物をする。引越し後になんとなくぼうっと考えていた機能が、リサイクルショップでのふとした出会いで、急に形を持ち、実現した。

買って改めてきづいた、文机のよいことのひとつに、「置いた後も仕切壁のような存在感をつくることがない」ということがある。たとえばこの文机は、やや低めな場所にあるこの部屋の窓枠よりも低いところにテーブルの表面がある。つまり、机の高さで窓の一部が隠れるということがないのである。

文机のもうひとつの美点は、「かがまなくても取れる程度のもの」を、狙って文机に置くことで、大半のことが非常に心穏やかに進んでいくということである。今まで小物は、冷蔵庫の上にツールボックス風に敷き詰めるか、中央の押し入れにコンテナ式に積み上げるか、必要に応じて床に直接置くことしかしていなかった。しかし、これがそれぞれ面倒ごとにつながりかねない習慣でもあった。コンテナ群の中で探しものが行方不明になってしまったり、取り出すのに大きくしゃがまなければまらなかった。和室の中に何もなさすぎても、ストレージを司るところでのものの出し入れはそこまで合理的にはならないものなのだろう。

しかし、文机なら、ようすがだいぶ異なってくる。まず、ちょっと屈むか屈まないかくらいの高さで、手に机の上のものが届く。そして掴める。上から見下ろすこともできる。なんだったら少し腰をかがめるだけで、メモに書き足しておくこともできる。そうして、机自体はそこまで拘束力がないから、すぐ立ってくるりと向きを変え、メモを持って何か別のことをしにいくこともできる。畳の上だから、足の重心移動も滑らかにゆく。

そのわずかな、たった30cm程度の高さが、負担の軽重を左右するとは、実際にそうしてみるまではおもいもしなかった。見た目は、ただ無骨に長い木の文机である。これに骨盤矯正椅子を重ねて、適切なそこそこの和室で展開すれば、それはもう、文具オタの義政をルーツとするところの、書院造アプローチである。机の上に置いてあるのが硯や巻物か、PCやJetstreamであるかは、その圧倒的な坐業の思想のまえには大した差異とならない。

文机と正対した時、両手を真横に広げてもみよう。指先がどこかに当たらないほど余裕のあるスペースとなっていれば、それがよい配置だ。たまに背中が疲れて腕を振り回したくなった時に、そもそも周囲に気を使って身体を縮こまらせていたのでは、疲れは何倍にも増える。腕を引いても伸ばしても、横にブラブラと遊ばせても、どこにも引っかからない程度の自由な作業スペースは、配置次第でわりあいあっけなく構築仕切ることができる。腕を振り、腕を伸ばし、腰を伸ばし、首を回し、少し仙骨を立てる。そして、この坐り方で暫く前に向かえそうか、身体の感触を確かめる。ここまで演ってみた頃には、あなたにとっての本当の文机の配置というものが、決まっていることだろう。

落ち着いて作業を始めるために、松榮堂のお香なんかを焚き染めてみてもいいかもしれない。*8 ただし、火事には気をつけて、皿も専用の、それこそ硯みたいな受け皿が安全でよいかもしれない。

追記:冷気対策について

 この記事を書いた直後の2017年01月中旬に、居住地近くを大寒波が襲った。床下からの冷気に鼻先まで凍りつき、布団から這い上がることも難しいほどだった。
 畳の上の断熱をうまく工夫できればよかったのだが、貸家である都合上、そこまでの大改造をするわけにもいかなかった。思案して、4000円弱ほどの、拡げて1畳弱ほどで間に合う電気マットを買った。*9断熱ではなく、一次加熱で済まそう、ということである。
 胡座をかいて、畳に付く両足の甲が、電気マットの上に来るようにする。ある程度以上部屋が温まっていれば、長く居座れる状況が出来た。尻の断熱と、足元の断熱ができれば、とりあえずは無理なくいられる。これにひざ掛けを加え、厚着すれば、問題はなくなった。

*1:[asin:B01MQHJHLF:detail]

*2:[asin:B00T2B5L52:detail]

*3:[asin:B001QXCZ12:detail]

*4:[asin:B003VIW13C:detail]

*5:写真はこちら。http://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/print.aspx?id=20080312000405

*6:[asin:B00ZWKTF2C:detail]

*7:個人の意見です。が、主張としては強く書いています

*8:[asin:B0035V4OOE:detail]

*9:[asin:B016JTMX3C:detail] これは類似品で、実際の品番はM840R 寸法は80cm×40cmである。この寸法なら、文机の下に収まる。