藤原聖子『教科書の中の宗教:この奇妙な実態』(2011,岩波新書)

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 この書籍は、2006年から2008年の間に行われた科研費基盤研究B「世界の公教育で宗教はどのように教えられているか:学校教科書の比較研究*1の調査研究の成果に基いて執筆されている。実際、この研究プロジェクト自体には大きな意義があったことと思われる。
 ただ、少なくとも「この岩波新書」一冊に限って言えば、科研費事業を通じて得られた観察が組織化されていないように見える。
 本書の構成がこのようになってしまった理由を推察するに、以下の点が、議論の収斂をみないまま個別に指摘されるにとどまっているためと思われる。

  • (1) 日本語圏の宗教教育の記述が、世俗的倫理を肯定するために粗雑に転用されていること。
  • (2) 日本の倫理教科書におけるキリスト教・仏教の記述が多面にわたり誤謬やミスリードに満ちており、宗教学的理解として半端な記述のまま普及してしまっていること。
  • (3) 日本の倫理科におけるワーディングが、さらにセンター試験等の受験的都合により整理困難に陥っていること。
  • (4) 海外では「現代の宗教者」どうしでの文化多元主義的なコミュニケーションが宗教教育の主軸となっているのに、日本ではその導入が遅れている(あるいは難しい)こと。
  • (5) 日本の教科書会社にそもそも予算がないため、上記のような問題を解決に向かわせるような経済的余裕がないこと

 ひとつひとつの論点は、なるほど確かに重要である。そして、著者の参加した科研費プロジェクトは、主に (4) の状況を学術的に高度な水準で調査したことによって得られた知見であり、他国の先駆的な例と日本の教育状況との差をうまく伝えている。
 しかしながら、これらの(1)-(5) の問題は、同時に扱ってうまくいくようなものではなさそうである。問題の種類が微妙に異なっているからだ。そして本書の記述は、残念ながら、「それらの問題が、あるよね……」ということを紹介したところで、力尽きているようにも見える。
 
 結論だけに注目すれば、著者による理想的な宗教教育は「伝統的宗教と世俗的倫理の両方を知り、では自分はどうするのかを改めて考え」(p.216)てもらう機会を設けるものだと、読み取れる。しかし、本書を読み通しても、それを実際に日本語圏の倫理科教育で実現するためのロードマップの呈示にはほとんど至っていない。そのため、終盤に至っては、先に引用した部分である教科書原稿用のテキストが「ボツになってしまった」(p.216)と愚痴ることで締めくくってしまっている。

 だが、そうした結末を、単に著者の力量不足に還元してよいわけでもなさそうだ。同書の著者が、教科書執筆にあたっての座組について、このように述べているところからは、現場に立ち入って悩み抜いた著者の苦心が読み取れる:

 今回の〔引用者注:倫理科の教科書〕改訂にかかわる中で、筆者がもっともストレスを感じたのは、アドバイザーである高校の先生方に、出版社が会わせてくれなかったことである。どの出版社も、教科書の原稿に対して、何名かの高校教員に意見・要望を出してほしいと協力を依頼するようだが、少なくとも私がかかわったケースでは、ディスカッションの場はなかった。出版社の編集担当を介して、間接的にやりとりをして原稿を検討するのである。出版社に直接確認したわけではないので推測になるが、おそらくそうするのは、執筆者側が大学教員である場合、直接ひき合わせると高校の教員は遠慮して意見を言わなくなると思っているから、あるいはそのような検討会を設けると余分な時間と労力がかかるからではないか。検定を受けるために教科書制作にはタイムリミットがあるので、効率を優先させたいという事情もわかるから、長年の慣例に反してまで、協力者の先生と議論させてほしいとは言いだせなかった。だが、「伝言ゲーム」では、互いの意見の意図が十分にわからない。とくに今回のように、宗教に対する根本的な見方の違いから発する問題などは、時間をかけて話し合わなければ通じるものではない。
(同書 pp.200-201)

だが、それだけの重大な壁が立ちふさがっていることまで判明していたのであれば、いっそ高校の先生方へのインタビューも含めて、宗教教育学的な課題として踏み込んでいったほうがよい、とも言えないか。つまり、教科書会社に組織体力面で期待できないのであれば、ここから高校の倫理科教諭と連携して、教育実践の更新へと取り掛かるような、そうしたロードマップを敷き直す宣言を行ってもよかったのではないか。そしてともすれば、そうした方向での研究計画の実施ということさえ、可能ではないか。ifの話ではあるけれども、そのような方向性も示唆される記述だった。

『教科書の中の宗教』目次
001 1章 教科書が推進する宗教教育――日本は本当に政教分離
021 2章 なぜ宗派教育的なのか
055 3章 教科書が内包する宗教差別
117 4章 なぜ偏見・差別が見逃されてきたのか
137 5章 海外の論争と試行錯誤
181 6章 宗教を語りなおすために
223 あとがき
主要文献