睡眠負債が溜まり、土曜から日曜の間に長時間眠った。また食欲も収まらず、浪費をしている。平日に白昼夢を見てばかりの参り方をしていたので、必要な休養だったとは思うけれども、生産性のかけらもない週末だった。
ベルセルク展は結局諦めた。
行動パターンを固めることで楽になることもある。Macbookを取り出すケースを置く向きを、必ず右側に取り出し口がくるように。それから抜き出したならばそのままクラムシェルの開け口が自分から見て前側にくるようにする。この組み合わせを常に意識することで、鞄から出して作業机にセッティングする際の二度手間がなくなった。
愚かしいのは、これを見出すまでに何年も掛かっていたことになるということだ。しかしこうしたことに一つ一つ気づいてゆくことで、確実に別の物事に割ける注意のリソースは増してゆく。他にこうしたものは身の回りにないだろうか。引き続き探すことにする。
ビジネス服のアウトレットでサイズの取扱だけ確認して帰路につく。今晩は読書会である。集中力が2300時まで続くのか、やや心許ない。
髪を切りそびれて1週間経つ。前髪の先の癖毛が巻いてきた。漫画めいている。
まだやっているのであれば、亀屋吉長の椿餅を買い、上林春松の抹茶と一緒に食べたい。明日確認しよう。
週末は仕事の学習2種類と、翻訳をしたい。先般の極寒は脱してきたので、ランニングを再開しても良い。
Woods 2010=2021『ユーロゲーム』 第7章の議論が前半で扱われていた。途中、ホセ・ザガル(Zagal 2000)が相互行為について、ゲーム内相互行為と社会的相互行為一般を区別して論じようとしていたらしいことをWoodsが言及していた。これは大変よかった。Goffmanの Fun in Games の中途半端な射程がどういう含みを持っていたのかずっとモヤモヤしていたのだが、そこにいい具合の補助線を引いてくれたような思いだった。