2022年に接したコンテンツ:マンガ編

今年は例年より漫画を多く読んだ。
まだ本丸のいしいひさいち『ROCA』は積んでるので評価から外している。映画ほかはまた別途書く。

 

▼2022年に連載中で、かつ、人に優先的に薦めているもの

井上まい.大丈夫倶楽部. マンガ5(レベルファイブ).

現在2冊;連載2020-;レベルファイブの漫画プラットフォームにて連載している作品(公式ページ)で、1巻のみ実験的に紙書籍版が出ている。縦読み漫画ながら紙書籍版でも刊行できるように紙面をあらかじめ構成していたという(1巻作者あとがきより)。主人公の“クラブ活動”のパートナーでありながら超常的な出自を秘めている「芦川」についての物語が常に不穏でありながら同時にほほえましくワンダーでもあり、この作品の味わいを深めている。


黒丸. 東京サラダボウル -国際捜査事件簿-. パルシィコミックス(講談社).

現在3冊;連載2021-;警視庁の女性刑事「鴻田麻里」と、元刑事だった警察通訳人の「有木野了」のコンビで、東京都心の国際犯罪に立ち向かう警察サスペンスドラマ。話の構成とキャラクターごとへの仕込みのバランスが、近頃読んだ漫画の中で突出して優れている。有木野のセクシャリティについての話についても本格的には展開されておらず、まだまだ複雑な展開が潜在していそうだ。基本的な配信プラットフォームはPalcyらしいが、ほかの漫画配信PFでも展開されている。



ヤマシタトモコ. 異国日記. Feel Comics Swing(祥伝社).

現在9冊;連載2017-;両親を失った子とその伯母による共同生活もの。基本セッティングよりも、その二人のあいだで取り交わされる会話の繊細さ……そのひとつひとつが、ため息が出るほど素晴らしい。近刊では医大受験の女性差別問題に触れており、この漫画が社会的公正についてきわめて真剣であろうとしていることが改めて察せられた。今いちばん人に紹介したい作品のひとつ。



珈琲. ワンダンス. アフタヌーンコミックス(講談社).

現在9冊;2019-;吃音症に悩む小谷花木と、彼と出会う前から突出したダンスの才を見せる湾田光莉との運命的な出会いを軸に、複数の現代ダンスカルチャーを描くダンス青春漫画。小谷の側がマッシヴで激しいダンスバトルの方面に、湾田の側が華やかなダンスパフォーマンスの方面に、少しずつ枝分かれしつつ、その2つがともに二人を取り巻く学生ダンスカルチャーを描くのに不可欠なものとして大事に描かれていくさまが素晴らしい。また、2020年代の今聴くべき現実の HIPHOP と R&B が当然のようにダンス課題曲として扱われているという点で、ブラックミュージック好きにとっても前のめりになる。もし今後アニメ化された際には絶対にそのまま使ってほしいが、海外との交渉を含むこともあり、どうなるかは未知数だ。


泰三子. ハコヅメ 〜交番女子の逆襲〜. モーニングコミックス(講談社).

現在22冊;連載2017-;架空の県警「岡島県警」を舞台とした警察官ものの長期連載で、昨年は実写ドラマ、今年は地上波アニメシリーズのどちらも実現した。(ドラマ版は永野芽郁戸田恵梨香のコンビだけでなく、三浦翔平と山田裕貴の演技も素晴らしかった。)『モーニング』誌上では先駆けて第一部連載が完結している。最近までの立てこもり展開の緊迫性や、その後のベテラン刑事の燃え尽きなどは極めてシリアスなもので見ごたえがある。


つるまいかだ. メダリスト. アフタヌーンコミックス(講談社).

現在7冊;連載2020-;元アイススケート選手のトレーナーと、小学生女子のフィギュアスケーターのバディもの。今年「次に来るマンガ大賞2022」コミックス部門第一位に選ばれ、今もっとも勢いがある作品のひとつ。褒めどころはさまざまな角度からありうると思うが、パフォーマンス競技としてのフィギュアスケートメカニクスを詳しく取り扱いながら、まるでゲーム攻略のように作戦を決めてゆき、それが狙い通りに功を奏す過程(5〜6巻)は多重に見事。その上で、互いの心身の限界とを見つめ、互いに向き合いつづける師弟関係から眼が離せない。


橋本悠. 2.5次元の誘惑〔リリサ〕. ジャンプコミックス集英社).

現在15冊(年明けに16巻発売予定);連載2019-;コスプレを部活ものにした画期的作品であり、先んじてアニメ化も果たした『その着せ替え人形は恋をする』と別の角度からコスプレ文化の語り直しに挑戦している意欲作でもある。2〜3巻までの展開は若干エロコメ以上のものが見出だせない面もほの見えたが、その後の展開が安定することで、長期的に「オタクが自らの好きなもの・信じているものをスティグマ(社会的烙印)と捉えず、胸を張って堂々と行きていくためにはどう考え、行動してゆくべきか?」という課題をまず示し、それに対してそのつど異なる状況をセッティングして乗り越えさせる。そんな骨太なストーリーアークをすっかり盤石なものとした。特に近頃の新入部員編では「コスパやタイパ(=タイム・パフォーマンス)を考えて作品に接しがちであること」について、魅力的な応答をしてみせてくれている。とはいえ、特にエロコメ要素が脱落しているわけではないので、その点では人に薦めづらい面は残り続けている。*1

▼その他2022年の注目作品(Webのみ・短編含む)

shonenjumpplus.com

三木有. 2022. 静と弁慶. ジャンプ+(集英社).

「静と弁慶」は今年読んだ中での短編ベスト。二次性徴期さなかに男女の身体的な違いが顕著になってきた中学3年生のなぎなた演武競技の男女ペアが、来たるペア解消と別れの予感にそれぞれすれ違った思いを抱いていることをなんとなく互いに察している。その二人の思いが、安易な恋愛感情としてではない別の尊重の心として結実し、試合本番直前に互いを支え直すまでの過程が、(試合会場の体育館の風景までもが演技しているかのような緊張感含め)実に美しい。「がんばろう」「がんばって」「がんばろう」の使い方の変化、そして弁慶と別に男子なぎなた競技に可能性を見出す同期学生キャラクターの役割に注目しながら読んでいただきたい。


shonenjumpplus.com

マシーナリーとも子. 2022. スシシスターハンター. ジャンプ+(集英社).

勢いで完結した寿司と退魔の合体マンガ。ニンジャスレイヤー等が好きな方向け。


浅見理都. 2022-. クジャクのダンス、誰が見た?. KISSコミックス(講談社).

警察官の父を殺した容疑で逮捕されたはずの青年が、実は冤罪だとほかでもない父の遺書から知らされることとなり、ひとり娘が不安と暗中模索の中、愛する父の遺言を果たすために動き始める。2022年に冤罪事件と報道の関係を扱った『エルピス』が空前の話題になったように、今後数年以内にこのマンガを原作とした映画やドラマが作られるかもしれない。今後もっと面白くなると期待している。(Web版こちら


ともつか治臣. 2022-. 令和のダラさん. MFCKADOKAWA).

姦姦蛇螺〔カンカンダラ〕と呼ばれる、いわゆる「洒落怖」ものの怪異を扱った妖怪コメディマンガ。作者のともつか治臣は、これまで同人で『大艦巨娘主義』(艦隊これくしょんの巨人解釈に基づくシリーズ)や「汚っさんの備忘録」(CoC6=『クトゥルフ神話TRPG第6版』のリプレイ動画)等、知る人ぞ知る高評価を既に得ているが、今年ほぼ初めてこの作品で商業単行本デビューを果たした。(Web版こちら


shonenjumpplus.com

阿賀沢紅茶. 2022-. 正反対な君と僕. ジャンプ+(集英社).

『アフター6ジャンクション』ほか各種のマンガキュレーションで大絶賛されているのも頷ける。同作者の前作『氷の城壁』も良いと聴く。


久部緑郎(原作)・松本渚(漫画)・大久保一彦(取材協力). 2022-. 文豪ナツメは料理人が嫌い.

担当編集者の造形が狂気に満ちている。主人公周りの登場人物にまっとうな倫理を持っている人が一人もいないようであるのがむしろ好ましい。(Web版こちら


ゲタバ子. 2022-. 限界煩悩活劇オサム. ジャンプ+

悪霊退治ものにBL系二次創作煩悩がクローズアップされた結果、解像度の高すぎる(と思われるが、実際にその方面でも評判のよい)いわゆる“腐女子”生態系描写が続く。毎話ごとに手を変え品を変え腐女子あるあるを実現しており、毎回次の題材が楽しみになっている。(Web版こちら


tonarinoyj.jp

岡 叶(漫画)・樋口 直哉(料理監修・コラム). 2022-. ヤンキー君と科学ごはん.

実は心優しいが誤解されやすいヤンキー少年にぐうたらメガネ化学教師が料理の理論だけ教える話。面白いのは肝心の化学教師本人は料理スキルが全然ないところ。日々料理をこなしているが理屈がわかっていない少年と、料理の理屈は思いつくが自分で料理をする気が全然ない教師の二人三脚がこれまでの料理漫画と異なるリズムを提供してくれている。

▼2022年以前に完結済を追跡し終えたもの・追っていて2022年中に完結したもの

よしながふみ. 大奥. 白泉社. *2

全19冊;連載2004-2021;単行本平賀源内とラストの明治維新後の姿がよかった。


山田芳裕. へうげもの. モーニングコミックス(講談社).

全25冊;連載2005-2017;やはり利休の切腹周辺が凄まじい。朝鮮出兵後に出てくる織部焼の数々が美しい。直後に京都茶の湯展で実物を見られて最高だった。


ヤマシタトモコ. さんかく窓の外側は夜. クロフネコミックス(リブレ).

全10冊;連載2013-2021;同著者の連載中作品『異国日記』がよかったので読むことにした。非浦英莉可と逆木のコンビが好みで、単体で素晴らしいのは半澤日路輝の造形。


鶴谷香央理. メタモルフォーゼの縁側. KADOKAWA.

全5冊;連載2017-2020;2022年公開の実写映画の評判がよかったので予習にと読んだものの、映画自体は見逃してしまった(年末にウォッチパーティで観る予定)。市野井雪の側が書道の先生としてのパーソナリティを強固に保持していることが印象に残っている。


平方イコルスン. スペシャル. トーチコミックス(リイド社).

全4冊;連載2014-2022;トーチWebで断片的に追っていた。4巻からのラストへ向けての容赦ない展開が恐ろしかった。あの女性キャラクターは今後自分にとってのヴィランの基準になってしまった(この作品にヴィランなどありえたのかという意外性もコミで)。


河合単(作)・久部緑郎(画). ラーメン発見伝. ビッグコミックス講談社)// 同. ラーメン才遊記. ビッグコミックス講談社).

第一部全26冊・第二部全11冊;連載1999-2009; 2009-2014;連載中の第三部『ラーメン再遊記』の話題についてゆくために仕方なく読んだ。わりと義務的に消化したが、その上で読む『再遊記』には独特の魅力がある。個人的には『発見伝』より『才遊記』、『才遊記』より『再遊記』の方が令和の時勢に照らして面白いという、右肩上がりな作品だ。


赤坂アカ. かぐや様は告らせたい. ヤングジャンプコミックス(集英社).

全28冊;2015-2022;事実上ヤングジャンプ本誌のほうで追跡していたので単行本ベースではあまり読んでいないのだが、(アニメ版主題歌における鈴木雅之の起用含めて)ずっと良い作品だった。藤原書記特訓シリーズだけでセレクション本が編まれてほしい。それから、この連載を続けながら『推しの子』の原作も務めていることが恐ろしい。


城平京(原作)・戸賀環(作画). 雨の日も神様と相撲を. 月刊少年マガジンR(講談社).

全3冊;2019-2021;因習村に訪れた痩身小躯の相撲少年が、因習の故に怪力でありもうすぐ供犠に差し出される同世代の長身女子のために、しゃべるカエルどもに相撲を教える。プロットだけ説明すると奇妙だが、それが3巻本にまとまった絵面として具現化していることが現実としてうまく飲み込めないでいる。作品自体はとても丁寧につくられている。


おかだきりん. 進め! オカルト研究部. Webアクションコミックス(双葉社).

全2冊;2020-2022;コミティアを中心にユニークな短編マンガを書き続けてきたおかだきりんによる商業連載作品が今年完結。北海道札幌市の公立進学系高校らしき学校「東西南北高等学校」を舞台にしており、同郷出身者として面白く読んだ。このマンガにおける文化系活動としての「オカルト」は事実上の現代民俗学文化人類学の実践であり、調査結果を京極夏彦らしき審査員もいる大人たちの面前で発表することになる。次の連載も楽しみにしている。


魚豊. チ。-地球の運動について-. ビッグコミックス小学館).

全8冊;2020-2022;今年の春に完結。同年中に第26回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。第2章以降の登場人物たちによる知的欲求の継承というモチーフの具現化のさせかたが興味深かった。個人的には2〜4巻あたりのノリが最も好み。



田中靖規 サマータイムレンダ. ジャンプ+(集英社).

全13冊;連載2017-2021;タイムリープ(死に戻り系)を含む因習村もの。最終的に複数人が継戦能力を得ていく際の理由付けがその都度よかった(特に探偵役から主人公へのものを含む)。演出はやや2000年代までの古めかしさに留まっているところもあり、その点は別の作品でアップデートしてほしいかもしれない。南方姉弟と菱形朱鷺子の造形がよかった(特に朱鷺子は、ローゼンクランツとギルデンスターンを引いてくるところも含め)。

▼2022年現在も連載中で、最新展開に追いついたもの

尾田栄一郎. ONE PIECE. ジャンプコミックス集英社).

現在104冊;連載1997-;ジャンプ+公式の90巻まで順次無料キャンペーンの助けを借りつつ最新刊まで読んだ。リアルタイムではチョッパー加入の前後で脱落していたようだ。60〜70巻のいわゆる「2YA」以降の展開をやっと履修できたこと、それ以降の女性やジェンダー描写に若干の(相対的)改善がみられること、しかし相対的にサンジが割を食ってしまっていること、ワノ国編における光月おでんが決定的に肯定しがたいキャラクターであったことなどが気にかかった。103巻でついに『ドラゴンボール』的なものを改めて実現したことには驚かされた。個人的にはサボとコアラのコンビが好ましい。


おがきちか. Landreaall. ZERO-SUMコミックス(一迅社).

現在39冊;連載2022-;信用のおける複数の友人が長らく絶賛していたためにいつか履修しようと考えていた作品。実際に触れてみると、『指輪物語』なみの長期視点でファンタジーを描き続けるその姿勢というか“構え”のようなものに圧倒されてしまった。テレパス能力を持つ双子の何気ない日常描写が後の防衛戦での活躍に説得力をもたせる流れなどは数巻スパンでの描写であり、漫然と単線的に読み流すことを安易に許してくれない。何度も読み返すに足る内容を持っている日本有数の堂々たるハイファンタジー作品になっている。


森薫. 乙嫁語り. KADOKAWA. *3
現在14冊;連載2008-;大乙嫁語り展・京都展示(@京都国際マンガミュージアム)に合わせて読んだ。リアルタイムでは2巻以降を読めていなかった。良さを説明する能力を持たないが、とにかく素晴らしい。大乙嫁語り展については、撮影許可がある展示について写真を撮ってTogetterに置いている


市川春子. 宝石の国. アフタヌーンコミックス(講談社).

現在12冊;連載2012-;初夏の頃に公式無料公開があったため読む機会をつくった。3巻あたりから読んでいなかったが、月人との言語的な交渉(と籠絡と)が果たされた後の展開を知ることができた。個人的には金剛チームの側がどんどん肯定できなくなっており、その感覚もコミで面白い。読んだときに気になった点については「『宝石の国』カンゴーム変節“の背景”を読み直す/フォスは本当に愛されに執着しているか?」にて触れた。


浅野りん. であいもん. KADOKAWAコミックス・エース(KADOKAWA).

現在14冊;連載2016-;ガンガン・ギャグ王を購読していた頃にドラクエ4コマや『PON!とキマイラ』などを読んで以来、久しぶりに浅野りん作品に触れた。京都のいくつかの老舗和菓子店に取材した和菓子とその菓子舗家族をめぐる話。京都にある程度馴染んでから読むことで、ディティールの細やかさに感動できた。主人公の周辺の登場人物に魅力的な人々が多い。また今年の春に放映された『であいもん』アニメシリーズが、京都弁の再現含めて大変素晴らしかった。


コトヤマ. よふかしのうた. サンデーコミックス(小学館).

現在14冊;連載2019-;『だがしかし』がヒットしたコトヤマの新規作品だったが、サンデー本誌で追いかけないままアニメが始まったら、それが非常に優れた郊外アニメであったため、慌てて最新刊まで読んだ(当時13巻が出たばかり)。序盤ののんびりしたオムニバス式エピソードから徐々に「月姫」のような伝奇アクションバトルに少しずつなだらかに近づいていく、そこにある危機との切れ目の無さがこれまでにない味わいで面白い。


殆ど死んでいる. 異世界おじさん. MFCKADOKAWA).

現在8冊;連載2018-;こちらもアニメ化に際して最新刊まで追いついた。まさか「おじさん」に子安武人が割り振られるとは思っていなかったが、重篤セガマニアの演技はとてもよかった。甥のたかふみと藤宮の微妙な関係(とおじさんの異世界動画に対する絶望的なリアクション)はずっとみていられる。たかふみが変身魔法を悪用しなかったくだりが特によかった。


福田晋一. その着せ替え人形〔ビスクドール〕は恋をする. ヤングガンガンコミックス(スクウェア・エニックス).

現在10冊;連載2018-;今年アニメ化したのがきっかけで読んだ。先に『2.5次元の誘惑』(前述)を読んでいたのでどうしても比べてしまうが、こちらはコスプレを公共に問うのではなく、コスプレを通じたよりミニマルな関係に特化している。アニメ版の喜多川の演技が、ギャル語という枠組みを踏み越えて現代日本語の最先端を走っているようで、それも新鮮だった。


高松美咲. スキップとローファー. アフタヌーンコミックス(講談社).

現在7冊;連載2017-;評判がよく、1巻無料キャンペーンをやっていたので読んだ。あくまで女子間コミュニティの間の評価であると前置きしつつ、地味系と派手系(ギャル系含む)の相互評価がある程度厳然と存在している中で、それを受け入れつつ個々の特性や善さ/佳さを見ていこうという姿勢が女子同士の友人関係にみられ、それが他者評価に相対的に疎い地方での優等生気質の主人公の周囲で細やかに行われている、という空気感がとてもよい。こうした、容貌ヒエラルキーと成績ヒエラルキーとが確実にありながらなお尊い人間関係を構築していこうという志向性が感じられるのは、個人的には『彼氏彼女の事情』以来の感触かもしれない。

青木潤太朗(原作)・森山慎(作画). 鍋に弾丸を受けながら. KADOKAWA.

現在2冊;連載2021-;海外グルメリポート漫画。登場人物の男性たちすべてが女性キャラクターに変換されているという奇妙な設定以外は『ハイパーハードボイルドグルメリポート』的な世界観が広がる。その玄関口さえ乗り越えてしまえたならば、原作者の青木による交流のあり方が濃厚に反映されており、良質な旅行エッセイとなっている(作中では、釣りが趣味で繋がるコミュニティのユニークさがかなりの頻度で登場する)。なお原作者の青木潤太朗は、国内ローカル旅行兼暗殺代行マンガ『また来てねシタミさん』(全2巻, 2020-2021)の原作者でもあり、作品の品質については個人的に信頼している。

▼今年動きがあったかどうかに関わらず、新刊が出たらなるべく読むことにしているもの

特に堕天作戦は、長期の停滞のあとに今年終盤になってやっと個人出版での連載再開が宣言された

*1:それはそれとして、作者の描く女性の身体は痩せ寄り〜肥満寄り含めて細かいバリエーションがあり、コスプレする身体へのこだわりを紙面で呈示してくれている。

*2:ジェッツコミックスヤングアニマルコミックス、レーベルが時期ごとに異なる。

*3:ビームコミックス, ハルタコミックス, 青騎士コミックスとレーベルが遷移してきた。

ビジュアル版 最新ファンタジー百科(David Pringle and Tim Dedopulos eds.)のゲーム章が優れている件

(原書情報こちら)*1

書誌データ

[original] Pringle, David and Tim Dedopulos eds. 2021. The Ultimate Encyclopedia of Fantasy: The definitive illustrated guide. Welbeck.
[日本語版] (=2021. 井辻朱美ほか訳.『ビジュアル版 最新ファンタジー百科:類型・映画・TV・人名・ゲーム・背景』柊風舎. )

この書籍をみつけた経緯

2022年11月中旬に4回めのコロナワクチン接種を受けてきた折、時間調整のために京都府立図書館に入って散策していたところ、返却されたばかりの移動書架の端に見つけたこのファンタジー百科事典本が目に入った。「こんな大判本を借りる人もいるのだな」と何気なしに確認した所、その編集方針に驚かされることになった。指輪物語Lord of the Rings)やGoT(Game of Thrones*2など映画化・ドラマ化でメジャーになったファンタジー作品だけでなく、『天空のエスカフローネ』劇場版*3など日本アニメーションの重要作品であったり、『オテサーネク』などチェコストップモーション・アニメーション作家のシュヴァンクマイエル夫妻による代表作*4などがすべて並列で扱われていた。*5

それだけではない。この事典にはゲーム分野に関する独立した章が置かれており、その中には『ゼルダの伝説』『ドラゴンクエスト』『Final Fantasy』『ポケットモンスター』『ICO』『ペルソナ4』『ダークソウル』など日本の代表的なファンタジービデオゲームが、海外のファンタジービデオゲーム史で必ずといってよいほど出てくる『MUD』『Ultima』『Wizardry』『NetHack』『AngBand』『Doom*6The Elder Scrolls(III, IV, V)』『World of Warcraft』『Witcher 3』などと並ぶ形で、別け隔てなく紹介されているのだ。
さらにアナログゲームも手厚い。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』や『ルーンクエスト』や『D&D エベロン*7 など英語圏テーブルトップRPG文化圏での最重要作品群と並列して、20世紀末における日本産RPGとして重要な作品である『ソードワールドRPG』(初版)にまで一応の言及がある。*8
この書籍についてTwitterで言及していたところ、ゲームライター・批評家の岡和田晃さんより、「この著者の David Pringle 〔デイヴィッド・プリングル〕は、英国のSF雑誌 Interzone〔インターゾーン〕 の編集者ですね」とコメントを頂戴した*9。巻末には確かにその通りの来歴が書かれていた。雑誌 Interzone はイギリスのSF雑誌として大きな影響力を持っており、またファンタジーゲームにおいては Warhammer(ウォーゲーム/RPG)との関係も強い。*10またほかの編者には、Magic: the Gathering や D&D (3rd以降) を手掛ける Wizards of the Coast とも仕事をしている Tim Dedopulos〔ティム・デドピュロス〕もおり、ゲームセクションにおけるゲームの目配せの良さは Pringle だけでなくこの人の力も大きいのかもしれない。

Pringle & Dedopulos 本がファンタジーゲーム語りにもたらすと思われる効用

私はどちらかといえばアナログゲーム文化の側に属しているという認識が強いが、ビデオゲームもそこそこ遊んできた人間である。そこでアナログゲームの研究の事例としてファンタジーゲームを紹介すると、まずそれらの作品の背景を、研究者仲間へ伝達するのに苦労することが多い。「日本のビデオゲームには詳しいけど国外のビデオゲームファンタジー&国内外アナログゲームのファンタジーに詳しくないひと」へ、何をどう説明すれば、鬱陶しく思われない範囲で議論の共通基盤を築けるか、ずっと思い悩んできた。

そこに来てこの事典のゲームに関する章は、おそらく私のこれまで常にかかえてきた悩みについて、行き届いたフォローをしてくれるという確かな期待がある。「私が話すゲーム関連ファンタジーのことは、だいたいこの範囲を念頭に置いています」と前置きして、このゲーム章だけ人に配って話を始められたなら、いろんなことが楽になるだろうとさえ考えているところだ。

自分はファンタジー文学の専門家ではないため、この本の全体の出来をレビューするのに適格な人間とはいえない。それでもゲームファンタジー事典としてこの事典のゲーム章の水準に達しているものは極めて少ないと指摘できる。{アナログ,ビデオ}×{海外, 日本}の複雑な50年を、簡潔な要約ながらそれぞれ的確に拾ってくれていることが大きい。

補足:Pringle & Dedopulos本は、「アナログ×海外」象限の言説的欠落を埋めてくれる

ファンタジーゲームに関する四象限(2022, 筆者作成)

 ファンタジーゲームに関して、上図のように{国内/海外}×{アナログ(テーブルトップ)/デジタル(ビデオ)}の2軸で四象限をとってみた上で、Pringleらの百科事典ゲーム章の位置づけを整理してみたい。


「アナログの」「ファンタジーゲーム」に関する開発史【象限d】は、まず海外の(主に英語圏・欧州圏の)ファンタジーゲーム【象限b】に、ビデオゲーム黎明初期から大きな影響を与えてきた。特にD&D (Dungeons & Dragons) , RQ (Runequest), M:tG (Magic: the Gathering), Warhammerなど、ほかの英語圏アナログゲーム製品群が与えてきた影響は、メカニクス面でもフィクション面でも、極めて大きい。【象限d->象限bへの影響】

また、「デジタル(ビデオ)の」「海外ファンタジーゲーム」に関する開発史【象限b】も、日本国内ゲーム文脈だけ見ていると見落としがちな点だ。特にTES (The Elder Scrolls) や Witcher3, WoW (World of Warcraft) など、アナログのD&Dプロダクトにも劣らない膨大な背景世界設定をもつファンタジービデオゲームの蓄積があることは知られていても、具体的にどのような内容が収められているかにおける共通認識は、日本のファン以外にも知られているとは言いがたい面があるだろう。【象限b自体の前提知識の補完】

国内ビデオゲーム【象限a】の中だけでも、たとえば『ポケットモンスター』や『どうぶつの森』シリーズがファンタジー世界を扱っている、という共通認識は、誰しも当たり前にもっている共通認識とは言い切れないだろう。【象限a自体の前提知識の補完】

国内アナログゲーム【象限c】に関しては、海外の主流アナログゲームに対する“相互の”影響関係は強くは見いだされないが、近年は日本製のボードゲームが徐々に海外でもプレゼンスを獲得しつつあり、今後は一方的な影響だと断定できない局面に入ってくるだろう。また、ゲームデザインの輸入という面では早くから安田均が『SFファンタジィゲームの世界』*11などで積極的な紹介を続けてきた歴史があり、国内のアナログ系ファンタジーゲームのデザインが海外のどのような先行作品を参照して作られてきたのかについては、Pringleらのゲーム章の整理は役に立つ。【象限d->象限cへの影響】

上記のような話を、研究会のような場で、たった一人の人間がゼロベースから伝えるには、あまりに荷が重たすぎることは明らかだろう。それだけにゲーム章の内容は、国内外のファンタジーゲームを論じようとする人なら、一人でも多くの人に目を通しておいてもらいたい内容となっている。

ただし、邦訳版は1万円を超える高価な書籍となっている。公共図書館などでは大判のリファレンス用書籍として入荷していることも多いようであるため、図書館での閲覧を推奨する。英語版でも構わなければ、ハードカバーで発注するという手もあるだろう。

旧版に関する補足

この本には2001年刊行の旧版がある。*12まだそちらの方を確認していないが、今回触れたゲーム章に関する内容はあくまで2021年版の内容に基づいていることをお断りしておく。一応旧版にもゲーム章はあるようだ。

*1:

*2:ゲーム・オブ・スローンズは邦題『炎と氷の歌』でも翻訳されているファンタジー作品と同一の原作に基づいている。

*3:

*4:

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*5:さらに本書ではTVシリーズを映画と別に分けており、日本のものでは『らんま1/2』『美少女戦士セーラームーン』『剣風伝奇ベルセルク』『ポケットモンスター』『灰羽連盟』『ラストイグザイル』『DEATH NOTE』『NARUTO』『鋼の錬金術師(2009年版)』『青の祓魔師エクソシスト〕』『ペルソナ4 The Animation』『僕だけがいない街』を引いている。あってもよさそうな『ONE PIECE』はなかった。

*6:Doom開発にCoC(Call of Cthulhu)デザイナーのサンディ・ピーターセンを招聘した事実も書いている(p.259)

*7:D&Dは複数の公式世界観があるが、特にスチームパンク的・近代的モチーフを取り入れたファンタジー世界観としてD&D3時代以降に展開された人気世界観のひとつ。日本ではホビージャパン社からD&D3, D&D4, D&D5対応のガイドブックが刊行された。特にD&D3対応のバージョンは名著かつ名翻訳となっている。

*8:その他、『Devil May Cry』『ソウルキャリバー2』『おいでよどうぶつの森』『キャッスルヴァニア悪魔城ドラキュラ)』『ワンダと巨像』『Dwarf Fortress』『Assassin's Creed』『Bioshock』『Pathfinder RPG』『Dishonored』『風ノ旅ビト(Journey)』『13th Age』『Dota2』『Final Fantasy 14』(吉田直樹への言及がある)『Hearthstone』『Bloodborne』『Runequest Glorantha RPG』(初期RQと別に独立項目になっている)『Return of the Obra Dinn(オブラディン号の帰還)』『Monster Hunter World』などの項目があった。

*9:https://twitter.com/orionaveugle/status/1593156584112533506

*10:ドラッケンフェルズ』をはじめとしたウォーハンマー世界観に基づくノベライズは、『インターゾーン』誌の人脈との関わりから生まれている。詳細は『ナイトランドクォータリー』Vol.11: 40-45, 岡和田 晃「キム・ニューマンドラキュラ紀元』と新歴史主義〔ニューヒストリシズム〕」を参照。

*11:

*12:

コズミックホラー/クトゥルフ神話を日本語で遊べるRPGメカニクス:2022年(令和4)版

とある会話をきっかけにまとめる必要が出てきた為、まとめる。*1

クトゥルフ神話TRPGCall of Cthulhu The Sixth Edition)

原語では2004年、日本語版は2006年に刊行された。近頃は最新版のCoC7版(後述)と分けるためにCoC6と書いたりもする。
2011年からニコニコ動画を中心とした「CoC6現代日本リプレイ動画ブーム」が発生し、見る専を含めてTRPGジャンルの認知度が急上昇。「TRPGの華形といえば冒険ファンタジー(か、そうでなければ超人もの)」という巷説を塗り替えるほどの流行となった。また、Pixivや同サービス系列のECサイトである BOOTH では、同人誌即売会とは異なるルートでのCoC同人シナリオの頒布が2010年代後半より隆盛。それまでのCoC6の遊ばれ方とは異なるシーンを形成することになった。【同人シナリオの傾向については註釈を参照*2

CoCは初版 (1981年) から6版までの間、基本的にはChaosium社が1980年代前半からTRPG向け汎用メカニクスとして展開し続ける「ベーシック・ロールプレイング(Basic Roleplaying, BRP)」に基づいて設計されている。特にCoC6は、サンディ・ピーターセンが共同執筆として携わったBRP系ファンタジーRPGの傑作、Runequest 3rd Edition (Avallon Hill, 1984) との共通点を多く持つ。2020年現在、CoC6でホラー以外のジャンル(超人的活躍や、神話生物・狂気のルールを必ずしも必要としないシナリオ構造など)への挑戦が各シーンで巻き起こっているが、それらの挑戦が極端な破綻なしに続いているようにも見えるのは、CoC6が基部構造にもつこのBRPの堅牢性の高さに拠るものではないかと思われる。*3

クトゥルフ神話TRPGCall of Cthulhu The Seventh Edition)

原語では2015年、日本語版は2019年に刊行された。ケイオシアムCoCの第7版にあたる。D100下方(パーセンテージロール)による直感的に成功率が読み解きやすい判定系はそのまま据え置かれているが、その周辺の各種の仕組みについてはCoC6と少しずつ異なっている。ほどよく活劇的要素・ゴリ押しの効く挑戦的立ち振舞いがルールでサポートされているなど、基本的にはCoC6のリファイン(改良)路線と見てよいとも思われるが、日本語圏のプレイシーンではCoC6ベースでのブームが冷めやらず、必ずしも完全に移行が完了しているとは言い難い。CoC7がCoC6の完全な上位互換であるのか、それとも実は微妙に異なるゲームコンセプトを向いた版同士とみなしうるのか、まだ明快な答えを出せる段階にはない。*4

インセイン

日本のゲーム企業である冒険企画局が2013年に刊行したマルチジャンルホラーRPGで、複数のホラージャンルの中に「コズミック・ホラー」にも対応する背景やデータが用意されている。
2010年代後半では同人CoCシナリオを中心に「秘匿ハンドアウト」を盛り込む作品が増加しており、一つの作法として定着した感があるけれども、CoC6およびCoC7の基本ルールブックには「秘匿ハンドアウト」に関する規定は存在しない。こうした文化は、(a) 20世紀末から日本各地の草の根のマスタリング・テクニックとして、(b) 90年代以降の商業作品のシナリオ記法の中に見られる「PC別ハンドアウト」として、(c) 冒険企画局が『シノビガミ』(2009年初出)において確立した「秘匿〔PC〕ハンドアウト(秘匿HO)」として、個別の伝統を保ちつつも集合的&漸進的な発展を遂げてきたものが、どこかのタイミングでCoCの同人シーンに還流したものと見なしうるだろう。
さてこの『インセイン』は、『シノビガミ』のメインデザイナーと同じ河嶋陶一朗が設計したシステムであり、秘匿ハンドアウトのルールを、基本メカニクスのレベルで実装している。*5 『インセイン』はCoCほか古典的な随時宣言受け入れ式の進行ではなく、ルールが定める通りの「サイクル制」の進行となるため、プレイフィールはCoCとは大きく異なってくる。しかし、秘匿ハンドアウトありきで設計された『インセイン』の狂気の描写は、プレイヤーだけでなくそれを進行するGMすら思いもかけない狂気の連鎖を再現することとなり、独特なホラーの手触りをもたらしてくれる。「秘匿HOに基づくキャラクター間のドラマにこだわりたい」と希望するゲームマスターにとっては、CoCのオルタナティヴ(=代替候補)として常に念頭に置かれていてよいメカニクスと言える。

トレイル・オブ・クトゥルー(Trail of Cthulhu, ToC

原書は2008年*6日本語版は2020年に刊行された。メインデザイナーはケネス・ハイト(Kenneth Hite (Ken Hite) )であるが、元となる汎用システムである「ガムシュー(Gumshoe)」をデザインしたのは、ナラティヴ系グローランサTRPG『ヒーロークエスト』(Hero Quest)シリーズ等を手掛けるほか、多数の実績があるロビン・D・ロウズ(Robin D Laws)である。
ToCの最大の特徴は、ロウズが設計した Gumshoe メカニクスが、「調査シナリオ」を破綻なくプレイヤーに提供するにあたり優れた設計をしていることだ。ToCにおけるプレイヤーは、自分のキャラクターが調査したい物事に対して適切にマッチングする技能をもっているかどうかだけを確認してそれを宣言すれば、ダイスロールなしで情報を取得することができる。他にも細かいゲーム的な駆け引きは存在するものの、ToCにおける行動宣言の主眼が「ダイスの出目に一喜一憂する」地点に置かれていないことは確かである。もちろん、キャラクターが明らかに危険な眼に遭っているときに古典的なダイスロールが要請されることはある。けれども調査行動に関しては、基本的には事件の推理に必要なすべての情報がプレイヤーたちの手元に確実に集まるように、基本メカニクスのレベルで調整が成されている。
 これがゲームマスターやシナリオ作成者にどのようなアプローチを可能にするかは明らかだろう。一通り手がかりを入手してもらった後にプレイヤーたちの間で推理する時間をじっくりとってもらうことを期待するような、歯ごたえのある調査シナリオを提供したい時、ToCはもしかするとCoCよりも適切なメカニクス足りうるかもしれない。遊びたい時代背景に応じて“足で稼ぐ”ような探偵的情景をセッションを通じて共有したいのであれば、それを邪魔する摩擦を限りなく減らすToCの仕組みは、KPとPLの双方を助けてくれるだろう。

クトゥルー(Kutulu)*7


原書はスウェーデンにて2017年*8、日本語版は2022年に刊行された。
著者のMikael Bergstrom(ミカエル・バリストレム) はスウェーデンのゲーム作家である。このKutuluは、Nd6個別ロールによるシンプルな判定系*9を持ちながら、ユニークな狂気ルールを提示したことによって(そして日本で一部の海外ゲーム紹介運動が盛んに行われたことによって)高い評価を受けている。
Kutuluのルールメカニクス下で動き回る探索者たちには〔超常的な現象に対する〕【狂気深度】*10のレベルが設定されている。【狂気深度】は「1. 否認」「2. 模索」「3. 受容」「4. 適応」という段階をもち、しかもその段階に関するステータスの管理はPCおよびPLに一切開示されないことになっている。【狂気深度】がどの程度進んでいるかは、ゲームマスターの描写・語り口を通じて類推することしかできず、同じ場所・同じ時間に置かれているはずのキャラクター同士は、本当に同じ状況に立っているのかどうかの前提すら瓦解しかねない状況に置かれることになる。
狂気の内容を隠匿するルール自体は『インセイン』とも共通しているけれども、狂気にまつわる語りを、PL/PCの誰にも手出しできない“GMだけの専権事項”として集約しているという点が、Kutuluの型破りな点である。

サンディ・ピーターセンの暗黒神話体系 (Sandy Petersen’s Cthulhu Mythos)

(※注意:『暗黒神話体系』は、製品単体では現代地球の人物をプレイすることは難しい仕様となっている。ただしクトゥルフ神話でファンタジー的冒険を遊ぶという点では一応条件を満たしているため、紹介した。)

原語では2018年、日本語版では2022年に刊行された。
Chaosium版CoCシリーズのメイン・デザイナーはサンディ・ピーターセン(Sandy Petersen)であるが、彼は別のクトゥルフ神話系ルールブックも手掛けている。これが、D&D5系列のルールをコアメカニクスとして遊べるよう設計された『暗黒神話体系』である。*11
この『暗黒神話体系』が翻訳されたことで一つ画期的なことは、このコアルールブックに付属する『フィフス・エディションRPG*12が、事実上D&D5版対応のSRD(システム・リファレンス・ドキュメント)の完訳であることだ。国内のD&D5を翻訳販売していたホビージャパンは、2021年から2022年06月までの間にWotCとの権利関係が解消されることとなり*13、2022年秋以降のD&D5展開はWotCの日本法人が直接手掛けることになった。『暗黒神話体系』は、ホビージャパンが持つD&D5関連の蓄積を、D&D5対応のSRDにより遊べる別のプロダクトに振り向けた最初の一手として評価できる。*14
暗黒神話体系』と『フィフスエディションRPG』(D&D5 SRD)は、共にD&D5系のシステムにある程度慣れ親しんでいることを暗に前提としている。また、以前のd20クトゥルフとも違い、これらのコンポーネントにはCoCにおける探索者周りの背景設定などの情報が欠落している。つまるところ『暗黒神話体系』はD&D5の冒険にクトゥルフ神話的エッセンスを加えるためのサードパーティ・ルールという位置づけで遊ばれることが第一に想定されており、たとえば「この製品単体でジャズエイジの探索者の冒険を提供する」というような構成にはなっていない。近代北米や現代日本のヒューマンが特定の職業でクトゥルフ神話的陰謀と対峙しているうちに、徐々にD&Dの英雄めいて強くなっていくという飛躍は、D&D3.X時代に刊行された『コールオブクトゥルフ d20(D20クトゥルフ)』では単体製品である程度可能だったが、『暗黒神話体系』では舞台設定をKPがゼロから作らなければならなくなっており、かなり難易度の高い挑戦になってしまっている。しかしその壁を乗り越えることがもしできさえすれば、たとえばテルグ語映画『RRR』のような1920年代のヒロイック・アクションを『暗黒神話体系』ベースで遊ぶのは、リアリティの調整として面白いかもしれない。
ファンタジーとしてのクトゥルフ神話を遊ぶにあたっては、ほぼ同時期に翻訳・発売されたキャンペーンシナリオ集『食屍鬼島』を導入すると、セッショングループへの導入がしやすくなるようだ。

その他のクトゥルフ系(未訳)

タイトルの趣旨と異なり相対的にアクセスしづらいクトゥルフ神話メカニクスについても、下記に併記しておく。

*1:解説には個人見解が多少含まれるかと思いますが、ご容赦ください。

*2:TRPG系二次創作物の有料頒布に関する規約を整備した「SPLL(Small Publisher Limited License)」の制度が2020年10月より始まったことにより、CoCに関するBOOTHその他の有料頒布のあり方にも影響が及んでいる。CoC6シナリオは独自規約による無料頒布シナリオにも人気なものが多く、またその規約の違反に基づく複雑なユーザ間トラブルがあり、有料頒布シナリオだけを追跡していてもシーンの全体が俯瞰できるわけではないというのが厄介なところだ。

*3:BRPそれ自体の日本語ルールは、Role & RollのBRP特集号を通じて日本語でもアクセス可能である。

*4:かつてD&D3.Xと当時最新版D&DであったD&D4との間には、明確なゲームコンセプトの違いがあることから新旧のどちらがより優れたメカニクスであるかについての論争が巻き起こった。D&D3.X展開を良しとする流儀の中からは、Paizo社のPathfinder RPGという新規タイトルが生まれ、それは現行のD&D5と並ぶ英語圏のファンタジーRPGの代表としての立場を確立している。ただしCoC6とCoC7それぞれの作りの間には、この事例ほどのゲームコンセプトの異なりは見出し難い。

*5:より精確に言えば、(1) 【秘密】の配布は選択ルールとしながらも[基本:194]、基本的には多くのシナリオでは高確率で【秘密】コミでのシナリオとして実装されている。(2) たとえ【秘密】が配布されずとも、ゲーム進行中にPCたちが抱えることになる【狂気】カードのうち、「拡散」を禁じられた対象が、実質的な秘匿ハンドアウトとして機能する。

*6:日本語版のコピーライトが2007年だが、原書の出版自体は2008年と思われる。

*7:読みは「クトゥルー」ないし「クトゥル」でよいと思われるが、人と話す時には先行作品との区別を敢えて建てるために、敢えて「クツル」と呼ぶことが多い。もちろん、その読みが適切だと思って発語しているわけではない。

*8:原著者がIssuuにて公開しているスウェーデン語版よりそのように推測した。https://issuu.com/mikaelbergstrom/docs/kutulu-web-v1/1

*9:日本語で手に入る既存の類似判定系としては『ザ・ループTRPG』『シャドウラン(4版以降)』『ニンジャスレイヤーTRPG』などがある。

*10:厳密には、【狂気深度】に紐づく【幻覚】も3段階設定されているが、ここでは詳細を省く。

*11:なぜ「大系」ではなく「体系」の訳語を選んでいるのか、個人的にはよくわかっていない。ところで副題としては、ホビージャパンが商標として持っている「クトゥルフの呼び声」がたまたま浮いていたため、副題に「クトゥルフの呼び声TRPG」というタイトルがついている。したがって日本語版では、原題 Call of Cthulhu の方が「クトゥルフ神話TRPG」を名乗り、原題 Cthulhu Mythos の方が「クトゥルフの呼び声」を名乗っているという、倒錯した状況になっている。)

*12:ホビージャパン公式Webサイトにて無料PDFの配布が行われている。具体的な版権画像はないが、フルカラーである。https://hj-trpg.com/#download

*13:https://www.4gamer.net/games/319/G031949/20211002018/ などを参照

*14:ほか、2022年05月30日に、Final Fantasy XIV プロデューサ兼ディレクターの吉田直樹を招いて行われたホビージャパン監修のFF14ライクD&D5システムの公開セッション(https://www.youtube.com/watch?v=_U4Xzai991Q)も、WotCからD&D5系列製品の販売代行を封じられたホビージャパンの次の商品ラインを模索する試みの一つとして観察しうるだろう。