オンライン読書会、各種メンバー募集のお知らせ(文献紹介編)

(2015.07.22 16:00 初稿、同日20:00文献紹介終わり。
 2015.07.23 14:30 通信メンバーを追加募集。
 2015.07.24 16:30 「会則」プロトコル系の記述を別記事にする。)

はじめに

 こんにちは、@tricken です。

 2014年10月(数え方によっては2013年05月)からこの方、ずっと病気療養してましたが、05月下旬から07月上旬にかけて、奇跡的に体調が回復してきました。ありがたいことです。皆様のおかげです。なむなむ。

 さて突然ですが、このたび、オンラインの読書会サークルを立ち上げようと思い立ち、このエントリを書きました。以下に概要(と、会則めいたもの)を示します。ご興味のある方は、会則原案および読書会の文献候補リストをご覧の上で、Twitter アカウント(@tricken)あるいは godandgolem.inc *at* gmail.com までお知らせください。

(重要な追記1)07/23より、当初念頭に置いていた【(シーズンごと)関与メンバー】とは別に、個々の読書会に必ずしも参加しなくともよい【通信メンバー】というカテゴリでの募集も開始しました。詳しくは本記事の中間あたりに置いた追記をご覧ください。

(重要な追記2)
07/24に、会則を同ブログの別記事に切り出しました。読書会参加を検討される際は、必ず会則を一読して戴き、会の趣旨にご賛同頂いた上で参加の希望を私までお伝えください。

tricken.hatenablog.com


 なお、こういう読書会を開くような @tricken が何者であるか、については、すでにこの1つ前の記事で書きました。噂を聞きつけて「この人なんなんだろう」と悩まれる方もいらっしゃると思いますので、参考にしてください。

http://tricken.hatenablog.com/entry/2015/07/04/113450tricken.hatenablog.com


詳細は会則をご覧いただきたいと思いますが、本読書会は

という分類を行った上で、

  • {α,β}両方原則参加
  • {α}のみ原則参加
  • {β}のみ原則参加
  • 単一文献のみ参加
  • 読書会情報のみ共有したい

という合計5つの区分で、各種メンバーを募集しています。

その上で、上記を選んだ人たちは、【関与メンバー】Mailing List および【通信メンバー】Mailing List に関して、以下のように配信される予定です。

  • {α,β}両方原則参加: 【関与メンバー Type A】&【通信メンバー】
  • {α}のみ原則参加:【関与メンバー Type B】&【通信メンバー】
  • {β}のみ原則参加:【関与メンバー Type C】&【通信メンバー】
  • 単一文献のみ参加:【関与メンバー Type D】&【通信メンバー】
  • 読書会情報のみ共有したい:【通信メンバー】のみ

基本的には、【関与メンバー】のType A,B,C,Dは便宜的な区別です。実際にはどのタイプの人も、単一 Mailing List の中で各シーズン中参加の可否を適宜表明していって貰うだけで、同じMLに参加していただくことになります(MLのON/OFF管理は管理人である @tricken に声を掛けてもらいます。)

一方で、【通信メンバー】は、一時期でも【関与メンバー】に参加したことのある人、あるいはしばらく様子見だがとりあえず読書会の内容や成果自体にはほんのり興味がある人向けの、ゆる〜い情報共有用メーリングリストです。こちらも入退会は自由ですが、各シーズンの詳しいスケジュールやアナウンス等、議事録等は共有できるかもしれませんので*2、関与メンバーとくらべてもスケジュール合わせ等を気にせずお気軽にご参加ください。

さて、以下が文献リストと簡単な文脈紹介になります。

【 α,β部門共通】

▼{α,β}Art Worlds (Becker)

[asin:0520256360:detail]

 社会学者のハワード・ベッカーによる芸術社会学の本です。芸術社会学、「集合行動(collective action)としての芸術の“界”を論じた本と言えます。

 ベッカーは『アウトサイダーズ』など逸脱行動論・ラベリング理論の研究者として名を馳せましたが*3、芸術をある種の社会的記号として見るような研究(分析哲学で言うとネルソン・グッドマン『芸術の諸言語』*4社会学版のような仕事もしていたということになります。もっともグッドマンのような美学的議論ではなく、もう少し生っぽい芸術の流通や担い手の話をしているのが違いといえば違い。

 なおベッカー氏はジャズピアノが非常に上手です*5。アーティストでもあるんですね。多芸ですね。

【2016.04.23追記】

2016年、待望の邦訳が出ました。
[asin:4766423240:detail]

▼{α,β}Shared Fantasy (Fine)

 ゲイリー・アラン・ファイン(GAF)は、『キッチン:レストランの文化誌』*6 などで知られていますが、総合的な業績を言うと、1980sから今まで、趣味文化やレジャー行動などに潜む相互行為的な局面を理論化するための〈質的研究〉(qualitative inquiry)*7 を積み重ねてきた人で、シンボリック相互作用論(symbolic interactionism)の理論書も共著で提出しています*8。その最初期に試みられた具体的なフィールドワークが、なんと会話型ロールプレイングゲーム、日本では1980年代後半にある種のSFファンタジー文化・オタク文化の一種として輸入されてきたTRPGサークルの相互行為、だったのですね。この Shared Fantasy は、日本ではまだ安田均が商業的に注目し始めるより前後くらいの*9、1983年の米国でのフィールドワークを基に発表された著作です。

 社会学的な評価だけでなく、後にサレン&ジマーマンのゲームデザイン先行研究論集*10 でもこの書籍の第6章 "Frames and Games" がまるまる引用されるなど、game studiesにおいても一定度以上に重要視されていると言えます。

 ところが一方、このファインの議論が、20世紀中盤から後半にかけて活躍した米国の社会学者であるアーヴィング・ゴフマンの後期の著作 Frame Analysis*11 や、米国のプラグマティズム哲学を切り拓いたウィリアム・ジェイムズが1890年に発表したリアリティ論*12などを下敷きにして論じていることの意義をどう捉えるかは、社会学側からもゲームスタディーズ側からも、どうも正確に捕まえる言葉が呈示されていないように思います。要するに、19世紀末から20世紀までの米国流社会哲学(プラグマティズム哲学)の系譜を踏まえた相互行為論社会学というものが、「ほかでもないゲームデザイン的記号表象を前提とした特殊なやりとりにおいて働いている」、という境界領域の議論を受け止めるだけの日本語圏の下地が出来ているようには思われないんですね。

 ファイン自身の議論は社会学的にもゲームスタディーズ的にも重要ですが、「いいや、その二つの領域を跨いだところでこそ、重要なんだよ」ということを改めて言うために、この本はいま改めて全文精読する意義があると考えています。 

▼{α,β}Strategic Interaction (Goffman)

[asin:0812210115:detail]

 ファインの本よりさらにさかのぼり、ゴフマンが1960年代中盤にフィールド・ワークした成果を2つのエッセイにまとめたものです。直訳すると〈戦略的相互行為〉ですね。日本ではゴフマンのゲーム的相互行為論が『出会い』という書名で翻訳されていますが*13、この Strategic Interaction は残念ながら未訳です。

 その上で、ゴフマンの英文は「ゴフマネスク」などと揶揄されるような面倒な文体であると、英語圏でもしばしば言われたりするので、結構ちゃんとした下調べをしないと挫折します。副読本としてはGreg Smithのレビュー本*14をはじめ、非-ゴフマンのre-view本を経由して読んでいきたいところですが、最終的にはこのあたりの話が、日英両言語圏の人で共有されていくと非常に嬉しいので、ひとつのマイルストーンとして、いつか読書会でぜひ取り組みたいところです。

【α部門特化(理論社会学ほか)】

ここからは、ゲームとは関係ない社会学理論の本となります。

▼{α}Self and Society (Hewitt)

 相互行為論や社会学記号論について、結構地味にラディカルな(=学問的に過激な)議論を試みている本です。英語圏の中古市場では価格が高騰しているのでなかなか入手困難なのですが、重要な議論がたくさん為されているので、なんとか一緒に読んでくれる人を募集しています。特に第4章の“situation”に関する議論が顕著に異彩を放っています。

▼{α}Tricks of the Trade /邦訳『社会学の技法』(Becker)

[asin:B004ELAHI6:detail]

本読書会(「とりっ講」)は原則英語圏の本を消化していくサークルですが、前提がわかりづらいこと間違いなしではあります。その問題を多少なりとも邦訳で解消していくにはどういう本が良いだろうとかねがね思っているのですが、最初に Art Worlds の著者として紹介したベッカーが、学生向けに描き上げたこの社会学概論本以外、現状はほとんど選択肢がないのではないか、とちょっと思っています*15

 ベッカーはエヴェレット・ヒュージ*16という20世紀中盤の社会学者と、ハーバート・ブルーマー*17に薫陶を受けたことを包み隠さず告白しているのですが、おそらくヒュージとブルーマーが言っていることをベッカー経由で飲み込むだけでも、ほとんど“ZENの公案ですか???”というようなハテナマークがたくさん出てくることでしょう。そのへんの、理論社会学のある“流派”からキッチリ共有していく必要はあると思っていますので、読書会参加メンバーには、ぜひとも日本語訳の方は手に入れて頂ければと思います(なお、自分は原書も持っていますので紹介する際は原書も確かめます)。

 なお、この本の原題と @tricken の名前には(Blogタイトル含めて)直接的な関連性はありません(そのうち「実は Becker のあの本由来なんだよ〜」とかウソを付く気満々なのはここだけの内緒にしておいてね)。

 原題は直訳すると『〔社会学という、この〕シノギのやり口』みたいな、かなり俗っぽい響きのある、いかにもジャズピアニストのベッカーらしいカッコよさがあるのですけどね。

▼{α}Continual Permutations of Action (Strauss)

[asin:0202362450:detail]

 ストラウスは、日本では『グラウンデッド・セオリー』*18という、質的研究の参照項のひとつとしてよく学部生の卒論に使わるほどにはよく読まれているアプローチの原著者の一人で有名です。しかしながら、どちらかというと、同理論書の共著者であるグレーザーと一緒に〈意識文脈〉(awareness context)理論 *19 の論文・著書を書いた人として理解したほうがすんなりと理解可能だと思います。彼自身は『鏡と仮面』という邦題で訳された単著*20 もあるのですが、この最晩年(1993年)に出た単著は未訳です。直訳するとおそらく『行為の連続的置き換え』となりますが、何言ってるかさっぱりわからないですね*21

 なのでひとまず、日本で使い倒されている質的研究の創始者の人が、1990年代前半にまとめた“社会的行為理論” や“社会的アイデンティティ論”の総まとめを改めてしていた本なんだ、と雑に理解していただければと思います。

 とにかく、意識-実存(アイデンティティ)-行為のような、一般には分かちがたいと思われている社会的概念を、processive(過程的)なものとして捉え直し分析していく、そうした手がかりを探している人にとっては間違いなく良書だと言えるものです。

「ならどうして、そんな重要な本が訳されていないのか?」ということになりますが、自分にもわかりません。ただ、歴史的事実を述べますと、分析哲学でも『芸術の諸言語』があまりに出ないので、批評系同人誌で採り上げられた分析哲学系美学の専門家の方が賞賛したとか、現象学者の名著*22がいつまでも全訳され切らないでいたとか、C. S. パースの全著作*23 が公刊されてから1世紀近く経とうとしているのに量が膨大過ぎて日本語圏では紹介本しか出ていないとか、ゲームスタディーズでも The Game Design Reader (紹介済)は現状の予算獲得の範疇まず数十年くらいは全訳されることはなさそうだ*24という見方がもっぱら優勢だったりと、結構 普通にあること(=似た事例は枚挙にいとまがない) と言わざるを得ません。

 つまるところ、20年〜150年単位で知的欲求を満足させるなら、日本語訳を待つという選択肢はどうも取れないぞ、というのは、(規範的な主張ではなく、歴史的経験則として)感じることです。その上で、英語圏の方に出て行くというだけでなく、日本語で深く思索していくということもできれば深堀りされていってほしいなとは願っています。

▼{α}The Faultline of Consciousness (Maines)

[asin:0202306461:detail]

既に上述した本の紹介でも少し触れてきましたが、米国プラグマティズムというのはぶっちゃけ“金脈”です(社会学的にも、哲学的にも、経験科学の基礎づけにとっても、金脈だと思っています)。金脈でありながら、あまりにも日本では不完全な形でしか伝わっていないところがあります。鶴見俊輔*25や魚津郁夫*26など、わかりやすい啓蒙書も散発的に出てきましたが、全然足りていません。たとえば、私がいきなり「C.S.パースの記号論って、おそらくカント哲学ver2.0ですよね?」みたいなことを言っても、「は? 思いつき言ってんじゃないよwww」としか取られない可能性が高いですよね*27。けれど、本当はそういう議論をもっとしていきたい、と思っているんですよね。

 そこに来て、このメインズさんの本は、米国流プラグマティズムと、(上記に紹介してきたヒュージ・ブルーマー・ゴフマン・ベッカーなどの)シンボリック相互行為論の間で一体どういう思想的文脈が形成されたのか? という議論に、かなり見通しの良い議論を提供してくれています。

 私(@tricken)が部門α【理論社会学】編でやりたいことというのは、要するに、ここ150年の英語圏、特に米国で育った社会哲学というのは、プラグマティズム-と俗に呼ばれてきたもの、の射程を軽く超えて、認識論と行為論とを綜合する“社会哲学”の体系として――いわば理論社会学の“秘術”*28とでも言うべきものとして――輸入されている、と見たほうがいいのではないか、ということを、きちんと明らかにしてゆくこと、なんです。
 そして、英語圏にはすでに確かにそれに近しい議論が複数提出されていると言いうる状況が、すでにある程度まで在る、という見込みを、私こと @tricken は持っています。

 さて、この種の議論を追跡できるものはもう数冊あると言えるのですが*29、現代の社会学に連結していて入手可能性があるような著書というのは、メインズの本くらいしかとりあえずないかな、という見立てで、この本を採り上げました。

▼{α}The Self We Live By (Holstein and Gubrium)

 日本では家族社会学の文脈でしばしば引用されている二人ですが*30、実のところ、彼らの議論はもう少し「私たちの生活にとって、アイデンティティ”とか“自己”といったものはなにか?」「それは私たちの社会にとってどんな意義をもつか?」というのを、突き詰めた議論として見るほうが良いものです。

 日本語圏で言えば、(むしろ「フェミニズムのひと」として認知されているであろう)上野千鶴子の研究*31や啓蒙書*32などは、むしろ理論的には(男女関係という短期の関係を超えた)家族制度の社会学として読みなおすことも可能な議論を多く立てていますし、また伝統的な家族概念というものは、ミシェル・フーコーが打ち立てたような、まさに“言説”(discourse)そのものの働きによって、強烈に人々の思考を――知らず知らずのうちに――呪縛している、とも言えます。

 さて、こうした発想を社会学的に突き詰めていくとどう呼ばれるようになるかというと、〈社会構築主義〉(social constructionism)という立場になってゆきます*33。ただ、言っていることが、小手先のテクニックではなく、そもそも論のところから「考え方を変えよう!」みたいな、ちょっとにわかには切り替えがたい、私たちの思考習慣について“直接”言い立てているところがあります。そのため、理解するのはまったく容易ではありません。具体的にどうすればいいのか、というのを、納得の行く言葉に落とし込むまでには、かなり時間の掛かる発想なんですね。

 ですからもし The Self We Live By を読書会で取り上げる際は、そうした「“社会学的”自己論」の系譜のようなものをある程度補則しながら、少しずつ読んでいくことになると思います。歯ごたえがある、というより、噛みきれずお腹を壊しそうな難しさがあるとは思いますが、そのあたりは一緒に相談してゆきたいところです。

▼{α}The Constitutions of Society / 邦訳『社会の構成』 (Giddens)

[asin:B00E6OVZC8:detail]
[asin:0520057287:detail]
[asin:4326602732:detail]

 アンソニー・ギデンズといえば、「あっ、社会学の教科書コーナーでみたことあるぞ」とか、「なんかイギリスで内閣のブレーンになってた人だよね?」といった感じで、名前を聞き知ったことのある方もいらっしゃると思います。以下の教科書などが、繰り返し翻訳されていて著名ですね。

 ところで、この『社会の構成』は、なんと2015年01月に翻訳されたものです。「じゃあ最新のギデンズの論なの?」と思われるかもしれませんが、違います。原著の初出は1984なんですね*34

 つまり、約30年前の、ギデンズの〈構造化理論〉(structure theory)の基礎を築いた出世作とも言えるような本*35が、2015年に漸く日本語で出た、ということの脱力感を共に噛み締めていただいた上で、改めて一緒に読んでいきましょう、ということです。特に前半の議論は、ギデンズなりにどうやって大陸欧州系の現象学的社会学*36パーソンズマートンらの機能主義社会学*37、そしてヒュージ・ブルーマー・ゴフマン等の相互行為論的視座(紹介済)等を調整し総合していくか、という野心に満ちています。それが結果的にどの程度成功したかは、それこそ今後のプロの社会学者のしごとであるとは思います。

 それはともあれ、1980年代には英語圏で既に前提となってしまっていた議論が、2010年代中盤にようやく日本語圏で読めるというのは、ものすごく幸せなことです。そしてなにより、このギデンズの The Constitutions of Society は、20世紀の社会学理論を俯瞰していこうとする上で、(誤解を恐れず言えば、彼の社会学教科書の各版の邦訳よりも直接的に、)極めて重要な教科書となるでしょう。

▼{α}The Philosophy of Act (G. H. Mead)

[asin:0226516695:detail]

 なぜこの本が課題図書として選択されたかは、実のところプラグマティズム哲学の話を踏まえられるほどに自分も勉強を重ねてゆかないと、説得的な議論を構築しがたいところがあります。ですから、ここではあまり多くを語らないことにします。

 それでもなお、私が「4人の初期プラグマティズム哲学者(Four Pragmatists)」のうち、誰が最も“社会”哲学として重要かと尋ねられば、(パースとどちらにするかを悩みに悩んだ上で、)ジョージ・ハーバート・ミードを挙げます。正直、社会心理学系の嚆矢とされる『精神・自我・社会』*38は、ミードの行為哲学の一端しか示していないと考えています。

 しかしながら、The Philosophy of Act は、生前のミードの草稿をかき集めた草稿集に過ぎず、正直言って極めて難解です。他の著作と違い、この書籍の講読は、数十年単位の“登頂”目標として置いている、くらいで捉えてください。実際には本丸に取り組む前に、ダ=シルバさんのレビュー本やリーダー*39などを経由して読んでいくことになりそうです。

【β部門特化(近現代アナログゲーム研究)】

▼{β}Costikyan第二試論

Costikyan, Greg, 2002, "I Have No Words & I Must Design: Toward a Critical Vocabulary for Games", Computer Games and Digital Cultures Conference Proceedings, Tampere University Press, June, 2002. ( http://www.digra.org/wp-content/uploads/digital-library/05164.51146.pdf
 有名な「コスティキャンゲームデザイン論」(1994年初出、1995年Nifty Serve有志翻訳)とは異なる論文です。主題は同じでも副題が異なります。

 30頁余りの短い論文ですが、ゲームデザイナーが「批評用語」(critical language, critical vocabulary)をどのようにして獲得するか、というのは、1990年代前半からのグレッグ・コスティキャンの思想的課題でもありました。その一過程が切りだされたのがこの“第二試論”とよぶべきものであり、その後のコスティキャンの関わる著書や編著*40 を読み込んでいく上でも、重要な参照項となるでしょう。

 ちなみに「とりっ講」の第1回は、先約が入ったことにより、例外的に部門βに関心のある人だけでこの論文を精読していくことが内定しています。間に合わない可能性も高いですが、だいたい07月末から08月のどこかで1~2回ぶんで読んでいく予定です。

▼{β}The Functions of Role-Playing Games (Bowman)

[asin:B004A16HQG:detail]

 会話型RPGは、既に紹介したゲイリー・アラン・ファインだけで終わらず、ほかの色々な経験科学の文脈でも実は継続的に論じられてきました。ところがその文脈は――少なくとも学術的な業績に関するものとしては――ほとんど輸入されていない、というのが現状なのですね。

 もっと色々な文脈から会話型RPG、ひいてはテーブルゲームを学問的に考察できないかな、と思っていた所で、このサラ・リン・バウマンの手堅くまとまった著書を見つけました。この著書は、2010年までの英米その他の会話型RPGの世代論や、即興演劇・サイコドラマ・社会心理学的ロールプレイとの関係を論じながら、RPGがいかにして社会学的トピックとして捉えうるか、という難しい問いに真正面から挑戦してくれています。ある意味では、ファインの Shared Fantasy よりも先に訳されて広く読まれると楽しいのではないか、という本です。

 なお、この本の原著タイトルは、The Functions of Role-Playing Games: How Participants Create Community, Solve Problems and Explore Identity (=『〔会話型〕ロールプレイング・ゲームの〔社会的〕機能:参加者はいかにしてコミュニティを創造し、問題を解決し、アイデンティティを探し求めるのか?』という、非常に魅惑的な題目となっています。特に、会話型RPGに対して演劇性や“物語り行為(narrative)”、またジョン・デューイ的な方向性での教育環境構築等*41に魅力を感じている人にとっては、今後の思索の支柱になっていくような議論を立てている可能性が高いはずです。

▼{β}Playing at the World

[asin:B008PN6K9Y:detail]

 本読書会における優先度は若干低いですが、これも会話型RPG含む近現代アナログゲームの通史として参照価値が高いです。特にドイツの兵棋演習からウェルズのミニチュア・ウォーゲームを経由して、戦後の米国でのボード型ウォーゲームの流行、Dungeons & Dragons 誕生史などを、軍事史の文脈*42 以外のホビー史として読み込んでいくためには非常に便利な本であると言えます。

▼{β}Playing with the Past

 日本でも Civilization シリーズや Call of Duty など、歴史的なものを扱ったシミュレーションゲーム(historical simulation games)は定着しています。この Playing with the Past; Digital Games and the Simulation of History(直訳すると『歴史と遊ぶ:デジタルゲームと歴史のシミュレーション』)という論集は、ビデオゲーム含む歴史シミュレーションゲームを遊ぶということはどういう文化的意義をもつか、ということについて、五部構成で論じるものです。その系統のゲームを好む人、シミュレーションゲームにはもっと多くの言葉が費やされるべきだ、と考えるような人にとって、多彩な議論を提供してくれるように思われます。

 ただ、もし取り扱う際には、全部を読むというのではなく、面白そうな論文を拾い上げて1論文ごとに精読する、という方向で読んだほうが効率が良さそうです。

▼{β}Designers and Dragons 1e,2e(4部作)

Designers Dragons

Designers Dragons

  • Mongoose Publishing
Amazon
https://www.kickstarter.com/projects/evilhat/designers-and-dragonswww.kickstarter.com

 以前からRunequest/Glorantha系列のゲームデザインに関わっていたShannon Appel(最近は奥様と姓を合成してAppelclineと名乗るようになったようです*43)による、“会話型RPG社史”です。初版が数年前に出ていたんですが、Kickstarterでのクラウドファンディングに成功し、10年ごとの歴史を整理した四部作となってリリースしました。これはえらいこっちゃ、です。以下に取り上げる Heroic Worlds と併せて、2010年代までの海外RPG史を語る上で欠かせない著作となっていることは疑いのないところでしょう。こんなコンセプトの本が出たこと自体、英語圏でさえ前代未聞だと思われます。今後のクラウドファンディングの可能性を感じる、“超”大作です。

▼{β}Heroic Worlds

[asin:0879756535:detail]

 1991年に出た、“1980年代までの海外RPG製品カタログ”とでも言うべきものです。これは、Wiki的な二次的知識が全面化した現代において非常に重要な参照本(reference)でありながら、更に凄いのが、主要なRPGデザイナーからの自作解説が、デザイナーズ・インタビューとして複数載っているということです。会話型RPGに慣れ親しんでいる人、1980sまでのRPGの様々な言説を追いかけたい人以外にとっては、この価値がうまく共有できないかもしれないとは思いながらも、そうした言説が日本語圏でも確かな形で参照したいと思ってきた人たちにとっては、切実に重要な、しかし“忘れられた名著”であるとも言えます。

 文献紹介は以上です。もし文献が増えたら、バージョン管理を本記事の冒頭に明示した上で、追加します。

*1:ただし、英米仏独その他のさまざまな社会学理論のうち、「英語圏」「米国」「特定ジャンル(米国プラグマティズム-相互行為論的伝統)」中心となります。なぜそういうチョイスになったかは、文献紹介の中であるていど言及しました。

*2:まだ運営方針や情報管理技術が定まっていないので、このへんは曖昧です

*3:[asin:4877984941:detail]

*4:[asin:0915144344:detail]

*5:Jam Session at the American Sociological Association Convention - YouTube

*6:

*7:

*8:[asin:0195385667:detail]

*9:[asin:B00K4TMZ4G:detail]

*10:[asin:0262195364:detail]

*11:

*12:[asin:B00652KUHK:detail]

*13:[asin:4414518024:detail]

*14:[asin:B000OT7UDC:detail]

*15:日本語圏では、苅谷剛彦上野千鶴子による文庫本などが、比較的わかりやすい形で社会学的アプローチを説いてくれているのですが、社会学的相互行為論の本筋ということになると、ベッカーほど流麗に説明した例はなかなか見つかりません。それだけに、なかなか難解でもあります。苅谷本と上野本は以下に紹介しておきます。[asin:B00FEBDDRC:detail][asin:4480424601:detail] また、フランス系の人類学・社会学では、 Actor Network Theory という、元は科学社会学の議論などで積極的に採用されてきた方法論の拡張が試みられており、これもまた相互行為論文脈とは異なる大きな潮流になっています。代表的な論者はブルーノ・ラトゥールなどです。[asin:0199256055:detail]

*16:

*17:[asin:0520056760:detail] [asin:432660073X:detail]

*18:[asin:4260333828:detail]

*19:[asin:4260347772:detail]

*20:[asin:4790708640:detail]

*21:実際には、permutations という単語はもっと文脈をはずさない、しっかりした意訳が必要だと考えます。それは今後の課題です。

*22:[asin:082647697X:detail]

*23:

[asin:0674138015:detail][asin:0674138023:detail]

*24:http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/sawa/gdr_index.html4Gamer.net [CEDEC 2006#12]ゲーム学の先行研究を押さえるための基礎文献「The Game Design Reader」

*25:

*26:[asin:4480089624:detail]

*27:思いつきをサポートするのが義務ではありますが、間違った理解だとは思っていません。えーと、がんばります

*28:もっと言うと、密教

*29:[asin:B00DSLSUDC:detail][asin:0226476979:detail]

*30:

*31:

[asin:400000333X:detail]

*32:

*33:[asin:B00VX8XHQC:detail][asin:1848721927:detail]

*34:工エエェェ(´д`)ェェエエ工 ですよ、もうね。

*35:別途、1970-80sにもギデンズの重要作はあるのですが、ここでは採り上げません。『社会学文献事典 縮刷版』という本が一冊手許にあると、このあたりの議論を各著作に当たる手間が省けて便利です。

*36:

など

*37:[asin:0765807181:detail]

[asin:4622017059:detail]

*38:[asin:B00D9A7I2Q:detail]

*39:[asin:B00CM7B4DQ:detail][asin:041582107X:detail]

*40:[asin:B00BSA7ARW:detail][asin:B005GFHZT8:detail]

*41:

*42:[asin:0870210505:detail]

*43: