2022-01-22日記

遅く起きる。洗濯を行い、豆味噌鍋を作る。今回は白菜と冷凍野菜だけで作る。思ったより悪くないが、やはりタンパク質、特にクズ肉のようなものが多少ほしいところ。肉団子の類か、ひき肉の類いか……。
尊敬するスガシカオさんが、ワクチン接種を2度経てもなおコロナウイルスに感染したことが先日明らかになった。2022年03月に大阪でFamily Sugar を引き連れてのライヴがあるのだが、おそらく延期となるだろう。延期になってもまったく構わないから、とにかく重症化しないよう、適切に養生していることを願う。
今日は立命館大学RCGSではスクウェア・エニックスの社内資料保存に関するオンライン講演があった一方で、概ね同じ時間帯から同じスクウェア・エニックスFF14関連チームによるおじさんたちの麻雀大会があり、スクエニ関連のオンライン放送が印象的だった。
荒廃した家を立て直すことに時間をとられ、翻訳は進まず。日曜にがんばりましょう。

『夜が明けたなら行こう』

浅川河畔スタジオの2021年末の新作『夜が明けたなら行こう』(会話型RPGルールブック)をプレイさせてもらう。プラットフォームはDiscord × ココフォリア。ルールブックを読んだ時以上に、“文学的”なゲームに仕上がっていた、という感想が、(私自身を含む)現場から上がった。
浅川河畔スタジオは、サークル第一作『月夜埜綺譚』から『ファミリーズ!』『夜話 ナイトストーリーズ』『プラスティカ:ワンダラーズ』と、システマチックで小気味良い処理とナラティヴのアトランダムな生成過程とを共に刷新する野心的な作品を何度も生み出してきた。その上で今回の「0.5人称」を謳う本作は、これまでの登場人物を眺めるメカニクスデザイナーの視点が「鳥瞰図」であるとしたら、今回は「内視鏡」とでもいうべきものに変わっているように思われる。それゆえに、これまで「ちっぽけな孤独」――実は全作でそのようなフレーズを繰り返し使っていながらも、ゲームデザイン提供者としての矜持がそのつど繰り出してきた緻密な娯楽性とでもいうべきものによってしばしば覆い隠されていたそれ――が、まるで腹を捌かれた動物からまろびでた臓物の塊のように眼前に転がり込んできたような、そういう恐ろしさがあった。
このゲームは、それでも一人の人物の不幸(やけっぱちの自傷行為希死念慮の成就、或いは映画序盤のモブキャラの如くすり潰される悲惨な帰結など)をかろうじて回避させるようプレイヤーの側から働きかけることができ、それによって幾ばくかの物語上の安堵を得ることもできるのだけれど。それにしても、と。この世の虚飾を取り去ればこんなありふれた絶望はどこにでも広がっているよな、ということを厭でも思い出さざるを得ない、そんなゲームになっていた。
どうしてこれが急に前景化したように感じたのか。思えば『アンナチュラル』の三澄ミコトのような、悲惨な過去を持ちながら明るく淡々と日々の職業に邁進する主人公を擁するドラマでは、まず先んじて専門職集団同士の濃密で高速なコミュニケーションによりフィジカルに達成される難題の数々があり、それが個人の不幸な過去を“幕間の動機づけ”に押しやってしまう。個々人のリアルな(=我々の知る、この世のありふれた不幸の組み合わせにより構成される)人物像を塗り分けつつ、けれどそれを決して本題に置かないことが、世の娯楽的な物語作品における“リアリティ”のふりまきかただと言える。そしてそうした群像劇のディティールの解像度や描き方の巧拙について、私は比較的関心を持ってきたほうだと思う。
けれどこの『夜が明けたなら行こう』は、そうした群像劇的な構成が脇話に追いやってきたもの“だけ”で、ナラティヴを生成させようとしている。
だから、あらためて、おそろしいのだと思う。ひとりの人間にとって、その境遇が「ありふれた不幸」だなんていうこと、他人に説明するのでもないかぎり、ありえないのだから。
conos.jp
(※これを「プレイリポート」として参照する方は少ないだろうけれど、念の為:これからプレイされる方へは、「Xカード」の説明をよく読むことを推奨します。近年の会話型RPGTRPG)のデザインシーンでは、多様な深刻さをもつ物語をヨリ安全に楽しめるように、参加者個々人が“これ以上はしんどい”ことを、それ以上の理由を突っ込んで尋ねられることなく差し止められる安全装置的な手続きが導入されています。このような仕組みを、今は一般的に「Xカード」といいます。『夜が明けたなら行こう』もそのような潮流にのっとり、Xカードというルールを採用しています。その点で、このゲームはプレイする参加者への心理的配慮について十分に注意を払っていると言えます。
 しかしその上で、ある種の純文学小説の主題が生や死や、他者と離別したことによる喪失などを扱っているのと同じ程度に、この『夜が明けたなら行こう』も、ゲームデザインという芸術的手法を通じて、ひとりの人間の孤独や絶望について、主題として描写していると言えます。その点は十分踏まえた上で、仲間と共に見どころを探るようプレイすることをおすすめいたします。2021年末に日本語圏に登場したアナログゲームデザイン作品としては、野心的な作品であることは間違いないと思います。)